さようなら台湾小石くん! 新春送別会!

10月からの3ヶ月間、高円寺をウロウロしつつ丁稚奉公を続けた台湾の小石くんが、ついに高円寺を去り、さすらいの旅に出ることに! といことで、1月3日の夜、マヌケゲストハウスのリビングで送別会やりまーす。

彼は台湾のDIYミュージシャン達のグループ「愁城」界隈の一人で、地下文化交流のためのマヌケ大使として高円寺に滞在していた。

小石くんに関してはこちらを参照。

手代の阿翔の元で丁稚奉公に勤しむ小僧さんの小石くん

2019年1月3日、だいたい夜8時ごろより宴会開始〜!!

小石くん本人は、「すぐにまた高円寺に遊びに来たい!」との意気込みを見せるが、貧乏すぎる彼が次に来れるのは一体いつになることやら。またすぐに来たくなるように盛大に送り出しましょう〜

Facebookのイベントページはこちら! みなさん、参加よろしく〜

ついにパスポート再発行に成功!

ジャカルタでパスポートをなくして以来、どうも不安だったが、ついに再発行に成功!! 日本から出られないってことは、この小さい島に軟禁状態ってこと。いや〜、危ないところだった!

いつも思うんだけど、なぜか中央に天皇家の紋章。よそ様の家紋をつけるのもちょっと具合悪いから、今度松本家のに張り替えておこう

ちなみに、無くした時はパスポートがそんなに大事なものだとは思っておらず、せいぜい福引券か家賃支払い帳ぐらいのものだと思っていた。なので、現地で大使館に行って「すいませ〜ん、なくなっちゃったんでもう一冊ください〜」と、チョロっとなんか書いたらもらえると思ってたけど、そうは問屋が卸さない。やれ、なんで無くしたとか、どっかから出てくるんじゃないかとか、いろいろ尋問されたのち、「再発行はまだ早い」という。チキショー、もったいぶりやがって。で、結局は日本に帰国するための「こいつは渡航先でパスポート無くしたマヌケな日本人です」と証明してくれる書類を出してくれて、それで帰国。

で、そのマヌケ証明書を発行するにあたっても証明写真が必要だという。身ぐるみ剥がれてるのに証明写真なんかあるわけないじゃねーか! ということで、とりあえず街に出てその場で撮影してくれる写真屋を探す。そんなに時間に余裕があるわけじゃなかったので、結構慌ただしく街を歩き、写真屋っぽいところを見つけて証明写真撮れるか聞いてみるけど、もう地元の人しかいないような狭い路地だったので、英語もほぼ通じない。でもしぶとく、いろいろ聞いて回り、街をひたすら歩く。気温は常に30度を超えてるので、汗だくでもう夏バテで死にそうな感じに!! で、ようやくたどり着いたのがスタジオのある写真屋さん。おお〜、ついに! 完全に家族でやってる感じで、店番は5歳ぐらいのチビッコ。くそ〜、この深刻な時にお前か! もう次の場所を探すの嫌なので、ここはなんとかこのチビッコを説き伏せねばならない。いろいろ頑張るが、当然英語は通じないので「フォト! フォト!」と必死に訴える。チビッコ、何も言わずこちらをジッと見る。お互い緊張感の高い睨み合いが続く中、10秒、20秒と経過。こ、これは一対一の完全に互角な戦いだ。手強い! 坊ちゃん頼むよ〜、お菓子でも買ってあげようか!? するとお坊ちゃん、突如クルッと後ろを向きダッシュで店の奥の方に走って消えた! こら、クソガキ!!! オマエどこ行く!! そして奥の方から「お父ちゃん、変なガイジンが来たよ〜」と叫ぶ声が聞こえる(←インドネシア語はわからないけど、あの感じだとどうせこんなこと言ってるに違いない)。くそ〜、こっちは炎天下で汗だくで死にそうなのに!

すると、今度は父ちゃんが飛行機のおもちゃを片手にヒョロッと店先に顔を出す。さては出来損ないの次男坊とでも遊んでたな!? で、オッサンすかさず「オーケー、オーケー! フォト、オーケー!」と超ご機嫌に店内にある椅子を指差す。とりあえず座れってことだろうから座ると、オッサンいきなりおもちゃ片手にカメラを向けてくる。おい! もう撮るの!? まだ値段も枚数も何も聞いてないぞ。それにいま汗だくで死にそうな状態だよ。準備とか何もないの!?

“パシャ!!!”

しまった! してやられた! そしてオッサン、ニッコリ笑って「ウエイト、ウエイト」。チッ!

汗だくのままやっと椅子に座って油断した時の写真

どこにでもありそうなキャノンのプリンターで印刷し、普通のハサミでシャキシャキッと切って、あっという間にできた。お値段は15000ルピア。日本円にして約115円。ずいぶん安いじゃねーか、このヤロー。ま、帰国のための証明書用だから写真なんてなんでもいいやってことで、これで完成。オッサンとチビッコが満足そうに見送ってくれる。ようやく晴れて帰国の運びとなった。

さて、話は戻ってパスポート再発行。日本に帰ると妙に寒く、インドネシアが懐かしかったので、思わずこの写真で申請してしまった。

いいね〜、この超適当にできた写真で10年パスポート。めでたしめでたし。

いろいろ書きすぎてて、どれが店名かもわからない

ちなみに、写真屋はここ。今度から証明写真は全部ここで撮ることにしよう! ただ、観光客皆無のエリアだったし、すごい路地の中。もう一度ここを探し出すのは至難の技だ。おいチビッコ、立派な写真家になるんだぞ。

【報道】北中通り商店街で老兵が叛旗! 風雲急を告ぐ!

高円寺北中通り商店街の名物企画「北中夜市」。今年も、12月23日の最期の夜市を迎えようとしていた。基本的に毎月第3日曜日に開催だけど、最終回の12月のみは第4日曜日に開催が毎年のお決まり。なぜ12月だけ第4なのかというと、商店街の長老(元商店会長)の通称やぶじい(藪そば店主)とその一党が企画する餅つき大会があり「おい、おめーら。夜市やるんだったら餅つきに合わせてくれい」との厳しいお達しがあるためだ。

もちろん今年も年明けごろに日程を決める段階になり、長老たちの集いで「今年もこの日程で大丈夫でしょうか」とお伺いを立てたところ、「おうっ、それで行ってくれぃ」と快諾。ということで、今年の日程も確定し、北中夜市は順調に開催されてきた。最終月は12月23日の開催。

ところが! 12月も半ばにさしかかろうとする頃、事態は急変!!! 突如やぶじいが「23日は少し早えなぁどうも」などとブツブツ言い出した。うーん、このパターンはどうも雲行きがあやしい…。北中夜市運営側としては、12月だけ第4週目なので確認の問い合わせなども多く、かなり口を酸っぱくして12月は第4週目だから日程に気をつけてくださいねと言い続けてきた手前、この日程はもう意地でも動かせない。やぶさん頼むよ、変な気を起こさないでよね〜

しかし! やぶじいの決断は早かった! ある日突如として商店街に「もちつき12月25日」という看板が出され、商店街に激震が走った! ちなみに商店街の長老たちは誰もインターネットを使えないので、みんなに周知させるときは回覧板、火急の知らせの場合は商店街の中央に立て看板が出されるのがこれまでのしきたりだ。

謀ったなやぶじい! 商店街主催としてすでに決定している北中夜市に対して敢然と叛旗を翻し、別日程で対抗してくるとは!! もちつき vs 夜市、商店街を真っ二つに割った血で血を洗う戦いが、まさにいま繰り広げられようとしている! 北中通りの運命はいかに!?

北中通り商店街の最新情報を告げる看板。この看板に町人たちも続々と集まり商店街は大パニックに

戦乱の危機を迎え、戦々恐々とする雰囲気の中、ある日やぶじいが夜中に街をウロウロしていたので「ちょっと藪さん〜、今年のもちつきは23日にやらないんですかー?」と尋ねると、「23日はちょっと早いよ。せめて24日以降でないとカッコつかねえじゃん。なあ、そうだろ?」とのこと。全く意味がわからないが、とりあえず23は早すぎて24以降ならOKらしい。こりゃ大変だ。「やぶさん、勘弁してくださいよ〜。藪さんが23日にしろって言ったんじゃないですか〜。23日もちょっとは餅つきましょうよ」と説得すると「バカヤロウ、餅なんかついたら死んじゃうよ!」とのこと。返事の意味はほとんどわからないが、要はやりたくないということだろう。チキショー、このじじい〜、と、思ったら突如「ま、ちょっとぐらいやってみるか」という。おお、いいね! 相変わらず適当なノリだ!

そして23日の北中夜市当日。なんと天気は小雨。雨でフリマは厳しいのでキャンセルが続出し、北中夜市は雨天中止寸前に。ま、それでも出店したいという人は来てたので、参加費の徴収はなしにして無料での自由参加形式に変更。万事休す。北中夜市、ついに老兵の乱の軍門に下るのか!?

しかし、これはやばい! 無理にやぶじいに餅つき頼んだのに雨で売れなかったら、これは一大事だ。100%こっちにとばっちりが来る! しょうがないから「いや〜、お腹すいたなー」とか見え透いたこと言って焼きそばを大量に買ったりしてなんとか在庫を減らす。

たくさん作ったのに売れないのでムッとした表情のやぶじい。こういうときはだいたいうちに八つ当たりが来る

そして、雌雄を決する25日!

ほら、やっぱり人通り少ないじゃん!!

戦いは引き分けに! そして「やっぱり夜市と餅つきは同時にやんなきゃなあ。俺は最初からそう思ってたんだよ、わかるか、おめー?」とのこと。

めでたし、めでたし。

【高円寺再開発反対パレード】会計報告

そうそう、去年の9月に行われた高円寺再開発反対パレード、会計報告忘れてました〜。なんと黒字でした〜。出発前の公園でのカンパに加え、捕まった奴が出たと知って救援用に、直接や振り込みなどでいろんな人がたくさんのカンパくれたことも助かりました〜。ありがとう〜

出費で特筆すべきは警察が壊した音響機材の修理代。デモ中の音響機材を提供してくれたNAMの穴水さん「警官の奴ら混乱のドサクサで、俺の目の前でうちの機材ぶっ壊しやがってまったくよ〜。この修理代は、主催者からじゃなくて警察に払わせないとおかしーだろ、これ」とプンプンに怒ってました。あとから機材が壊れたって聞いたけど、警官の仕業だったのか〜、なんて事するんだ〜〜〜。警察は自分が悪くても絶対に非を認めないのは世界の警官共通なので、これも絶対に踏み倒すつもりなんだろうな〜、ちきしょー、バーカバーカ

よし、杉並警察署に30000円の貸しができた!

さて、そんなことでなんと思いのほか10万円弱も黒字になってしまいました。これはそのまま次回の第二回パレード用の資金に回しましょう〜

ちなみに、2年前の都市計画(第四次計画)で高円寺北口の道路が改めて計画に乗った時、区議会などで討議された内容はわりとイケイケな感じにも聞こえたけど、その頃に比べて、今回のパレード前後以降、区長やら区議会でのトーンがものすごい変わってる。再開発にはだいぶブレーキがかかり始めた模様。いやー、いいね! それにデモ前後で区長派の議員などから「まて、デモはやめてくれ」とか「そんなに積極的に進めるつもりはない」などと謎の弁解の連絡がたくさん来た。う〜ん、やはり街での声が上がらないとシレッと内々で進みかねないから、油断は禁物。

と、言うわけで、また今後も「当然みんなわかってると思うし、言うまでもない事だけど、高円寺に再開発は要らないよ」という路上での行動、やらかして行きましょう〜。以下、会計報告でーす。

【収入】

デモ会場カンパ 140893

ビール売上 2050

救援カンパ 57402

なんとかBARでの救援資金集め 43152

★収入計 253497

【支出】

装飾代 5057

ミスターX氏への差し入れ現金 5000

パンクロッカー村上への差し入れ現金 5000

レンタカー 20000

機材レンタル代 10000

警察が壊した機材の修理代 30000

弁護士費用 80000

★支出計 155057

【差引残高】 98440

ちなみに、高円寺再開発計画に関してのおさらいはこちら〜

【入門編】高円寺再開発計画とはなにか?

NO LIMIT BALI!!!!!!!

今回のインドネシア作戦の最後を締めくくったのははこれ。12/12にバリのRumah Sanurというスペースで開催されたイベント!!

今年の8月に高円寺で開催された「死亡超人」というイベントで、素人の乱と、同じく高円寺のBARのSUB STOREで共同して、このバリのSuperman is Deadというバンドを受け入れて企画をやった。そんなこともあり、このバリの界隈の人たちが「おお、この間高円寺でいろいろやってくれたらしいので、今度はこっちが恩返しにイベントをやってあげよう!」と、一肌脱いでくれたとのこと。そんなことで、すごい頑張ってくれた。結構広いイベント会場を無料で貸してくれたり、普段はギャラをもらって活動してるようなバンドたちも「ギャラなんていらないよ!」と、無料で来てくれたし、音響機材とか楽器類なんかもバリのいろんな人たちが貸してくれたという。

う〜ん、頭が下がるばかり。そういう、国を越えた持ちつ持たれつの関係を作っていくのは大事だね〜

高円寺SUB STOREのアンディ
ギラン屋敷の人たちの出店も
「もっと早く情報知ってたら出たいバンドとかたくさんあったのに〜。次はもっと早く言ってよ〜」とのこと。しまった! やはり早くインドネシア語習得しないと!
DENPASAR KOLEKTIF の展示
ねたのよい。独特のスタイルの音楽にインドネシア人も喜ぶ!

高円寺SUB STOREの姉妹店、SUB STORE BALIの出店。しまった、今回行きそびれた!

しかし、ジャカルタもそうだけど、このバリでも本当にインドネシアの人たちにすごい色々助けてもらった。いくら高円寺で企画をやってあげたり、共通の知り合いがいるとは言え、我々見ず知らずのよそ者に対してここまで色々骨を折ってくれるとは、もう感激しかない。そう、我々は商業主義的な繋がりではない。こういういろんなスペースやコミュニティーを作って維持している人たちとの、手作りの人間関係や交流によって成り立っているものだ。金の繋がりやなんらかの権力関係で成り立っている繋がりなんかよりもはるかに強固な信頼関係で成り立っていけるはずなのだ。そういう意味でも、そんなスペースやコミュニティーへの感謝や尊敬を忘れてはいけないし、逆にそれができなければ、そういうコミュニティーに受け入れることはできない。

ということで、今回はバリで尽力してくれた人たちにささやかなプレゼントを用意した。これを見せてくれたらご馳走するので、高円寺を訪れてくれた時にぜひ使ってもらいたい。バリのみんな〜! 受け取ってくれ!!!

これをプリントして切り取って見せてください。「???」の反応をされたらすみやかに逃げてください

全日程のイベントを終えて宿に帰り、夜遅かったので宿の外で路上飲み。う〜ん、やはりアジア圏はこれが自然でいいね。各国から来てる人たちともまたしばらくのお別れなので、最後にいろいろ語り合う。名残惜しいけど、ま、またすぐどこかで会うでしょ。

ちなみにこんな感じで呑んだくれてると、西洋人の若者の旅行者たち5〜6人がベロンベロンになって現れた。たぶん同じ宿らしい。女の子は宿の前で吐きまくってドロドロになってるわ、男はもうまっすぐ歩けず壁にぶつかったり叫んだりしてる。…と、そこでこちらと鉢合わせて目が合う。とりあえずお互い会釈。これがなんだか、すごいマヌケで面白い。こちらとしては「あ〜あ、あいつらひでえ飲み方してるな〜。いい歳して飲み方もわかってねーな。バカなんだろうな〜こいつら」と、憐れみの視線を送る。向こうは向こうで、地べたで飲むなんてカルチャーは皆無なので、「うわ、この謎のアジア人たち、みすぼらしい飲み方してるな〜。猿山と変わんねーな〜」という憐れみの眼差しでこちらを見る。もちろんこちらは「こっちはちゃんと正気だし大人のペースで飲んでる」という自負。向こうは「俺たちはちゃんと立ってて、地面に座り込むほど落ちぶれてない」という自負。おお、ここにも東西呑んだくれ価値観の微妙な差が!! ま、はたから見たら目クソ鼻クソでどっちもただの呑んだくれにちがいはないんだけど。

さて、そんな感じで終了した今回のインドネシア作戦。うーん、行ってよかった!!! ということで、今回の一連のインドネシア関連の日記はひとまずこれで終了。みんなもインドネシアに行ってみるしかない!!!

週刊素人の乱第44号刊行でインドネシア作戦報じられる

本日、高円寺北中通り一帯で流通している週刊素人の乱が刊行され、ジャカルタとバリでの混乱具合の第一報が届いた。

韓国のチョルスン氏が、香港まで到着した時点で戻された事件を始め、池田さんがマンホールに二度落ちるなどのニュースが報じられた。

現物は下記の通り。現地での混乱具合を克明に報道。

バリ到着。恐怖! ギラン屋敷 WALHI BALI

さて、ジャカルタ作戦も無事に終わってお次はバリへ。バリというと観光地のイメージが強いが、いろんなスペースもあり面白いことをやってる奴らもいる。高円寺でも毎度お馴染みの台湾のバンドマンたちのグループ「愁城」も数ヶ月前に遊びに来たということで、その台湾つながりもあってWALHI BALIというスペースに遊びに行ってみた。

宿に着いたのがすでに結構遅かったので、夜中にバイクタクシーで向かったんだが、宿の近くの比較的店などもたくさんある賑やかなエリアを抜け、その後は街灯もほとんどない暗闇の中をひたすら走り続ける。う〜ん、いったいどこまで行くんだろう…、と不安になってくる。そして、40分ほどバイクで走ったところにある暗闇の中にポツンと明かりがあり、そこには小さな屋敷が! ギャー! これ完全に鬼太郎第1話に出てくる鬼太郎の親父が死んだ時の小屋と同じ状況だ! 助けて〜

暗闇に忽然と現れたパンク屋敷

と、思ったけどよく地図を見たら、むしろ市中心部の官庁街の近く。例えば東京で言えば神田みたいなポジションかな? 逆に中心部に近かったから暗かったみたい。いや〜、危ないところで死ぬところだった。まずはひと安心。

入口には大量のZINEが。週末に開催するZINE FESTIVALの準備とのこと

まずはそのスペースを少し紹介。ここの界隈に集まるバンドマン達などのたまり場でもあり、そんな彼らの作ったものも販売や展示している。そして、バリのリゾート開発に反対する活動の事務所も兼ねており、農民たちのサポートや開発反対デモを開催したりもしている。

バリPUNK界の堀内孝雄ことギラン氏

このスペースの大御所のギラン氏で、彼も音楽をやっている。すごい優しい性格で、いろんなことをすごい丁寧に教えてくれた。共通の知り合いもたくさんいるし、数ヶ月前には高円寺のSUB Storeや新宿成田商店(IRA)、台湾の愁城などでも展示をやったのも記憶に新しい。

そういえば素人の乱のこともよく知っていてくれて、「高円寺再開発反対デモ最高だったね〜」などと喜んでくれた。で、そこからお互いのやってることの話になったんだけど、彼の運動哲学が面白く、いろんな人たちと一緒に物事を作っていきたいという。若者だけとか、真面目に運動を語るだけみたいに同じ感じの人たちだけでやるんじゃなくて、農民のおじちゃんやおばちゃん、老人やら子供やら、わけわからない人たちなんかと一緒に作ったりしたいし、開発反対のライブイベントのとき、パンクバンドばかりだけどあえて伝統音楽の人たちにの演奏してもらったり、いろいろ努力してるという。「大事なのはいろんなものを混ぜながら作ることなんだ」とのこと。おお! これ、数ヶ月前に韓国のYamagata Tweaksterが高円寺に来た時に語ってたこととすごいかぶってる! だから高円寺でやってるデモもいろんなミュージシャンや芸術家が参加したり、すごい楽しそうなものを大事にして作ってるのがすごい興味深いとのこと。「また高円寺行きたい!」と言ってたので、次のデモあたりでうまく来れたら面白いのにね〜〜

余談だけど、ギラン氏の名前だけは一発で覚えた。典型的な怪獣系の名前なので、これは日本人にも親しみやすい名前だ! でも彼は怪獣じゃなく、とてもいい人だ。

店内に所狭しと並ぶTシャツなど
ステッカーもたくさん貰ったので、帰国後マヌケゲストハウスに貼っておいた
大量のカセット! というか、こっちのパンクシーンは本当に規模が大きい
思わずTシャツとか結構買っちゃったけど、いま日本は厳冬期を迎えようとしている
ずいぶん控えめなところにコッソリと並ぶ強そうなステッカーたち

上の写真は庭の片隅の鉄壁に張り巡らされていたステッカー。バンドマンたちが多く、しかもパンクやハードコアの人たちが多いのでステッカーもその手のが多い。なんでこんなところに突如たくさん貼ってあるのか聞くと、ギラン氏いわく「いや〜、前はまさに入り口のドアに貼ってたんだけど、怖がって誰も入ってこないからドアをきれいにして、ステッカーはこっちに移した」という。なるほど、たしかにガイコツやら怖い顔やらがたくさんあったら、ただでさえ鬼太郎の親父が死んだ場所なのに、もっと怖くなる。やはりここにもなるべくいろんな人たちに来てもらいたいというコンセプトが。偉い!

とは言っても、裏手の中庭にはデモで使う道具なんかがたくさん置いてあり、やっぱりガイコツがある。ギャー、やっぱり助けて〜!

建物の外壁にはいろんな展示もある。おお、おもしろい!

中庭には謎のパンクあずま屋も。みんなここでタバコ吸ったりお茶飲んだり酒飲んだり。いいな〜、南国ならではのスペース。ここをステージとして、簡単なライブや上映会など屋外イベントもよくやるという。夜中遅くなのに話したり笑ったりしてすごい盛り上がってたけど特に苦情はほとんどないという。さらに「近所には小さい子供がいる家もあって、子供が寝られないとかわいそうだしね〜」と、優しい一面も。でも、ちょっと何かあったら警察に通報みたいな一億総神経質社会の日本とは「静か」の感覚がだいぶ違うんだろうな〜。うらやましい! 野外楽しそう!

ちなみに、先ほどの中庭のすぐ裏手にはこんな建物が。ギャー、やっぱり鬼太郎の親父の屋敷だ! 聞けば「もうだいぶ昔だけど、大きな屋敷を建てようとした人がいて、半分ぐらい完成したところでインドネシア経済が急に悪化して工事止まっちゃったんだよ。で、今もそのまま放置されてる」だって。やばい、これは楽しそう! でも、万が一この工事が再開して完成してしまうと、先ほどの中庭が通路になって無くなっちゃうのでそれが悩みの種だという。

濃い色の長めのコメ。作るならやはり炒飯かカレーかナシゴレンあたりか

リゾート開発が進み、農地を手放していく農家も多い中、まだ頑張って農家を続けている人たちをサポートする活動もやっている。時には農業を手伝ったり、その米を売ったり。おー、三里塚みたい。ということで、農民を応援する意味も兼ねて米1キロ買ってきました〜

写真一番左がマヌケくんことJuli

さあ、一通りお互いの活動の理解を少し深めた後は恒例の大宴会! ちなみにこの日はこのスペースに泊めてもらうことになり、英語のかなりイカサマな自分が1人で一晩交流するとなればもう、こっちのペースで行くしかない。インドネシアはムスリムが多いので、なかなかみんながみんな会ったら飲みまくるなんて文化はそんなにない。ただ、イスラム教が強いジャカルタでも飲みまくって仲良くなったりしたので、比較的ヒンズー文化が強いバリはいけるはずだ! …という確信のもと、おそるおそる一番マヌケそうな顔してる青年を見抜き(←これが重要)、そいつにこっそり「さて、ビールでも買いに行きますか」と耳打ち。すると、ニカーッとした笑顔で待ってましたとばかりに「いま!? 買いに行っちゃう!? 俺も酒大好きだよ!」と言い出す。やっぱり!!!! よっしゃー、俺の感はやはり的中した!

案の定マヌケくん、酒のプロフェッショナルで「何が飲みたい? 強めなのだったら自分で作ったのもあるし、ビールだったら近くで手に入るよ」という。ま、とりあえずビールを飲むことになり、近所の店へ。この店、酒類は扱ってないはずなんだけど、「ま、俺に任しといてくれ」という。すかさず店のオッサンに何やら言って、店の裏で冷やしといてもらってるのを出してもらってる。おお、そんな裏技があるのか!

で、さっそく飲み会開始〜! ま、お互い語学力に限界があるので、込み入った話にならないのがまたいいところで、後はだいたいどうでもいい話をしたり、YouTubeなどでお互いの国の面白いバンドや音楽を教えたりしながら盛り上がるのはどこでも定番コース。で、さらに、ここはせっかくNO LIMIT BALI期間中の飲み会なので、アジア圏の人たちと飲みでどう仲良くなるかを伝授! 香港人や台湾人はこうやって飲むとか、中国人がこれを飲み出したら気をつけろとか、韓国人がこう飲み始めたらそれはこういう意味だ、などなど。逆にバリでの酒を飲む時の謎のルールなどを教えてもらったり、超面白かった。よし、マヌケなバリの諸君、これで次に東アジア圏のどこに行って飲み会に巻き込まれても全然大丈夫だ!

こちらはほかの東アジア圏のみんなで訪れた時の写真。それぞれ中国(各都市)、韓国、香港、台湾などでスペースを作ってる人たちなので、ギランたちとお互いの情報交換したり友達になったりしてすごいいい交流ができた。いや〜、なんだかんだ言ってこういう交流が今後に繋がるんだよね〜。これは楽しみ!

彼らのグループ名 DENPASAR KOLECTIF

NO LIMIT JAKARTA = WHY

NO LIMIT JAKARTA 第二日目。この日はまずインドネシアの女性パンクシーンに関するドキュメンタリー『INI SCENE KAMI JUGA』の上映会で幕開け。上映後のトークショーでは「パンクシーンの中にもいろんなジェンダー問題がある。でも、何かしらの問題が発生した時にそれをみんなに訴えて支持してもらったり助けてもらったりするのでは根本的な解決にならない。こういうイベントや映画の上映などを通して、みんなが問題を理解するようになることが一番大事なことだ」という。素晴らしい。

最初の上映後のトークショー。うーん、内容聞きたい!

ただ、本人達がインドネシア語でトークした内容を、登壇者の1人が要所要所英語で要約し、それを隣で聞いていた台湾人の阿翔が中国語でさらに要約てくれ、それをなんとか聞いて日本語で要約すると、長いトークショーの内容が上のような内容になった。こりゃいかん、やはりインドネシア語理解しないともったいない!

前半の上映会はビル一階の駐車場スペースにて

先ほどの上映会+トークショーが拍手喝采で終わると、そこですかさずジェロニモレーベルの上杉氏が突如勝手に登場していきなりライブを開始! さすが上杉氏。常に虎視眈々と隙を伺いタイミングを読んでいる。うまい! そう、寄席の休憩でトイレに出た瞬間に弁当売ってる売店に出くわしたり、野球場で回が変わる時にビールの売り子が来たりするあのタイミングだ! そして一方のインドネシア人たちも、車の渋滞が始まった瞬間に車道に入ってきてバナナとかタバコとか売りに来る売り子たちに慣れてるから、とごく自然に拍手と歓声で受け入れられてる。これはいいね!

「いえ〜〜〜〜い!!!」と、すごいテンションで颯爽と登場したものの、演奏開始とともにアンプ内蔵ギターのバッテリーが切れるという、ちゃんとオチを外さない上杉氏。ジャカルタでも関西の芸風を知らしめた瞬間

そして、上杉ショーの次は中国の人たちのドキュメンタリー映画。こちらも中国での女性問題に関する映画の上映。ちなみに中国語って全て漢字で構成されてる言語なので、英語や日本語に比べて短時間ですごいたくさんの内容のことを伝えることができる。なので字幕のスピードがものすごい早い。インドネシアの人たち内容わかっただろうか…

2008年の中村友紀監督の作品『素人の乱』。実はYouTubeでも観られる

そして、その後は映画『素人の乱』の上映。この日は前半に映画とかトークショーが集中してたので、飲みながら観ていたので迂闊にも夕方の時点で既に酔っ払ってくる。ちなみに、この映画すでに100回ぐらい観てる。

そして終わったら次は『NO LIMIT 東京自治区』の映画と、監督の児玉さんの挨拶。続けてみるとなんとなく変遷がわかって面白い。

ナントカ氏と

上映会直後、「おい! お前ら面白いことやってるじゃねーか!」と、感激して話しかけてきたナントカくん(すまん、インドネシアの名前ってなかなか覚えにくい)。ナントカくんいわく、「いやー、国境クソ食らえだから、うちらも今ちょうど東南アジアのネットワーク作りまくって結託してるんだよ!!! お前らの東アジアネットワークと繋げたらヤバいことになるよ!」と、テンション上がってた。おお、こんなところに思わぬ同志が!! いっちょ結託しますか〜!! 世界の大バカたちがどんどん繋がっていけばものすごいことになることを知らしめてやる!!!! よし、まずは名前を思い出すところから開始だ!!

ナントカ氏2と

ナントカくん2と。彼は地元で開発に反対する運動やイベントもやっている。彼は日本の状況や高円寺の再開発反対のことなどにすごい共感してくれていて、そのZINEとTシャツをプレゼントしてくれた! ちなみに彼は東京にも遊びに来てくれて何度も飲んだりしたし、高円寺マヌケゲストハウスにも泊まってくれたり、インドネシアに来てからも何度も一緒に遊んだりしているので、いまさら名前を聞きにくくなってきたいつものあれだ。しまった! このブログを読んだみなさん、くれぐれも彼には名前を思い出せないことは極秘でお願いします!

こちらは中国チーム。中国の各地から来ている
ジャカルタ2日目の打ち上げ後。この直後に寝てしまい、起きたらパスポート入りのカバンが消えていた!

さて、NO LIMIT JAKARTAのイベント名にWHY FESTIVALという名称が付けられており、この経緯が面白い。まずNO LIMIT JAKARTAの発端は、最近知り合ってきたインドネシアの人たちと話しているうちに「じゃ、インドネシアでなんかやりますか〜」っていうノリになったこと。そして、実際に具体的に話を進める段階になると、実は日本人は大して役に立たない。自分自身、実際に行ったこともなかったし、どこまでのことがどんな条件でできるのかなど、なかなか計り知れないところも多い。ということで、こちらからは他の国から参加するミュージシャンや企画、遊びに行く人の手配などに追われることになり、実際の現地での会場や宣伝などの実務はジャカルタサイドにかなり依存することに。

そして、ジャカルタサイドの頑張りが半端なくて、かなり大掛かりなイベントになってきたんだけど、日本を中心とした海外サイドは思ったほど役に立たない! で、ある時ジャカルタサイドでの会議の時に「あれっ! ところでうちら何でこんな大変な企画やってるんだっけ!」となって「WHYにしよう」となったとのこと。

最初はあまりネーミングは気にしてなかったけど、その経緯を聞いてから会場や装飾を見てみるとマヌケ感が半端ないことに気付く。

巨大なWHYの前でパンクバンドが演奏している姿はとても感慨深い

ジャカルタ・マヌケゲストハウス

ジャカルタでは、割とチェーン展開しているゲストハウスに滞在していた。別に何の期待もしてなかったんだけど、これがまたよかった。

やたらノリがいいおっちゃん。毎日異常に機嫌がいい

まず、スタッフのシフトがやばい。上の写真のおっちゃんが夜、その息子と思われる青年が昼。この12時間交代で永久に回ってる。この宿チェーン店っぽいけど他の支店とかそれぞれガラッと違う感じなので、直営で展開しているというよりもフランチャイズみたいな感じでブッキングのシステムを共有してる程度だと思う。なので、限りなく個人経営に近い様子。たまに日本のコンビニなどで、出勤時に寄っても帰宅前に寄っても、深夜に夜食を買いに行っても同じ店員だったりして、驚くときがある。コンビニの場合はその人の労働環境や健康が大丈夫か心配になるが、こういうゲストハウスみたいにのんびりした様子で働いてる場合は、謎の安定感があってたのもしい。しかもいつもマヌケな顔をしてやたらニコニコしている。

ついでだけど、インドネシア人って話しかけるとすぐニコーッとして返してくれるし、すごいやさしいのがいい。しかも一回話したら絶対覚えててくれて次からは会った時にいつもニコニコして「よう!」みたいな感じになる。第一印象ですごい親しみやすいので、あまり海外経験のない人でも受け入れやすいはずだ。ちなみに真逆なのが中国人。中国人はその辺の店なんかで話しかけても最高に無愛想で最高に態度が悪い。このため世界中で嫌われることが多いんだけど、実は中国人って中身はすごい優しくて親切。なので、最初の遭遇時に悪態つかれても別にその人は機嫌悪いわけじゃないので、もう一歩踏み込んで会話をしていくと急にものすごい態度が変わって心配してくれたり面倒見てくれたりするようになる。もちろん二度目からも超優しくなる。ま、要するにどこの人たちも中身は優しいんだけど、最初の表面的な感じが場所によっていろいろってこと。そんな意味でこのインドネシアは交流入門コースとしてもいいので、是非オススメだ。

うつむいていて疲れてそうだとおもうが、実はスマホでゲームしてるだけ

あと、感動したのがインドネシア語しか通じないこと。普通、宿のカウンター業務なら英語ぐらい通じるんじゃないかと思うものの、それは大間違い。不得意どころじゃなくて本当に全く通じない。自分自身、英語は相当ひどいレベルだけど、超単純な会話ぐらいは何とかなるが、ここはそんなレベルじゃない。完全にゼロ。ま、もちろん我々外人としてはインドネシアに来た以上はインドネシア語を話すのが筋だ。でも、できない場合は向こうがこちらの言葉をできれば幸い。そしてどっちもダメな場合は共通で通じる言語を使うという順序になる。ということで、仕方ないのでこの宿での会話は基本的にgoogle翻訳。ま、お互いヒマ人なのでなので時間はたくさんあるからなんとかなったけど。

来てわかったけど、英語が通じないのはここだけじゃない。大学生や、各種イベントで会う人たち、空港やショッピングモール、観光地などでは英語通じるけど、それ以外、特にその辺の屋台でご飯を食べて、ボロい雑貨屋で日用品を調達したりして生活する分にはほとんど通じない。でもそう言う人たちの話す内容が一番面白そう。チキショーくやしい!

いや〜、しかしいま高円寺で「マヌケゲストハウス」をやってるけど、英語は大変。アジア訛りの英語で話されたら何とかなるけど、たまに米英訛りのわけのわからない英語で話すやつら(俗に言う普通の英語)がいて、やつらの話しは基本チンプンカンプンなので大変。「英語ももう少し使えないといけないなー」と思うこともたまにあったが、この堂々たるおっちゃんたちの姿を見ていると安心だ! たしかに世界には共通語的に使える言語は中国語やスペイン語など他にもいろいろあるし、とんだまぐれでスワヒリ語やタガログ語がお互い使える可能性だってある。やはり自分の交流圏に沿っていろんな言葉を少しづつでも覚えていくのが、異言語交流としては一番自然なやり方なんだろう。よーし、やはり英語は二の次だ。個人的にはやはり広東語と韓国語を少しはわかるのが先決だし、最近はどうもマレー・インドネシア語を話せたら楽しいことが増えそうな気もして来た! やはりそっちだ、そっち!

最後におまけ。そのゲストハウスはこちら。https://www.booking.com/hotel/id/oyo-141-fatmawati-cozy-residence.ja.html

上海奇人伝 その① 張小船

NO LIMIT JAKARTA が開催されている現在も各地からいろんなマヌケな人が登場している。今回はそんな中でアジア圏でもトップクラスにマヌケな人物を少し紹介してみよう。

数年前から高円寺にもよく遊びにきてる、中国上海から来ている小船。彼女は基本的にアーティストで意味のわからないことばかりやっており、少し前には中国人観光客が大量に訪れる真冬の北海道で爆買いの中国人に雪を売るというバカすぎる企画を決行し、高円寺にもそのバカの名を轟かせた。雪を見たことがない南方の中国人が、すぐに水になって空気になってしまうことにも気付かずに間違って買っていったという。北海道で中国人が中国人に雪を売るのはすごい!

雪を売る小船。完全にイカサマ師だ。

さて、まず余談だけど、自分ジャカルタでパスポートを紛失! パスポート入りのカバンを放ったらかしたまま飲み屋で酔いつぶれて寝ていただけでカバンが消えていた。う〜ん、まさかなくなるとは!

ということで、ジャカルタからバリに到着してすぐに、警察署に紛失届けを出しに行く。海外の警察署って怖いから嫌なんだよな〜

一番右の人なんて棍棒持ってそうな勢いだ

さて、そこで飛行機が同じだった例の小船もついて来てくれたんだけど、怖い顔をした警官たちもマヌケな顔をしてウロチョロしている小船をみて「なんかマヌケなやつがいるぞ」という感じに。すると、人を殴りそうな顔をしている警官たち、実は怖いのは顔だけで、実際は超マヌケなやつらだった。で、いきなり「ちょっとそこの彼女、ご飯でも食べなさい」と、なぜかご飯を勧めてくる。おお、なんだその悪運の強さは!

意外と優しいおまわりさんたち

自分も少しつまむ程度にもらったが、いろいろ書類を書かないといけないので、怖い顔のマヌケなオッサンと別の机で紛失届けの書類を作成。しかし小船は死ぬほど食べ始め、おまわりさんたちの晩ごはんが全部なくなるぐらいの勢いで食べまくっている! おまわりさんたち、ニコニコしながら「もっと食べなさい」といいつつ、心なしか顔がちょっと寂しそうに。自分のパスポートが日本のだった上に、小船もカタコトの日本語で対応していたので、おまわりさんたちも完全に日本人だと勘違いしている。

小船の食べっぷりに警官たちも大喜び!

おまわりさんたちの晩ごはんをあらかた食べ尽くした小船、「ありがとう、ありがとう。バリの警察は世界一だ」と、感謝しつつも適当なことを言いながら、カバンから食べかけの豆の袋をおもむろに出して、「お礼にこれをあげます」とか言いながら豆を振る舞う小船。晩ごはんがあらかたなくなったおまわりさんたちは、とりあえず豆に群がりみんなでムシャムシャ食べ始める。ヤバい! 浅草寺の鳩みたいだ!! 当然、日本の豆だと思っているおまわりさんたちも嬉しそうに「これはどこの豆なんだい?」と小船に尋ねると「中国の豆です」と答える。特別なもの以外は基本的に中国の食品をあげて喜ぶ人はあまりいないので、おまわりさんたちも「う〜ん、中国ね。いいね」などと、特に感想も言わずに食べるペースが若干落ちる。

日本で警察でご飯を食べるのは捕まった時だけだ

書類作成が超適当なのもいい。一番怖い顔のオッサンがカタコトの日本語で「ドコデ、ナクシマシタカ?」と聞くので、「ジャカルタです!」と、答えると、「う〜ん、ジャカルタねえ…」と、少し考える。おそらくジャカルタだとそっちに連絡したりと仕事が増えるから面倒っぽい。すると、突然「よし! バリにしよう! バリだよな!」と言い出した。いいねー、この仕事っぷり。日本の警官や公務員も見習ってほしい。あるいは、小船がものすごい勢いで自分のご飯を食べているので、早く書類を作成したい可能性もある。そして「時間はいつ?」というが、無くしたのは一昨日だけど、バリってことになるとつじつまが合わなくなる。…などと考えていると「よし、まあ1時間前だな。よし、そうしよう」などと自分でどんどん進め始める。中国の豆にすらありつけなくなったら一大事だ。

誕生日のおまわりさんと記念撮影。左は豆も食べ損ねた人

そして、聞けばその場にいたおまわりさんたちのうちの1人が誕生日。なるほど、そういうことか! それでみんなでご飯を食べるつもりだったようだ。ちなみに、食べ物は全部すごい美味しかった。バリの料理はおいしい! …と、小船氏。

この直後、小船の前に果物が直撃!

さて、バリの市内に向かい、みんなが泊まっている宿に到着すると、早くも大宴会に。バリ初日の上にジャカルタでは酒の入手が困難だったということもあり、やたら盛り上がる。すると、少しうるさかったようで、他の部屋のお客さんが突如謎の果物を二階から投げて来て、小船の前の机に落下! すると、さすが小船氏、怒っている人がいるとはったく気付かず「うわ〜、かわいい果物!」などと余計騒ぎ出した。ダメだこりゃ!