豊橋作戦③ 玩具卸売店での死闘!

さあ、佳境に入ってまいりました、豊橋作戦。ここまでしぶとく豊橋に居座るやつはそうそういない。豊橋人たちは「これといった名所も名物もないよ」というが、数十万人の人間がいる場所で何もないはずがない。
ってことで、さらに掘り下げていきましょう、豊橋!!

さて、さっそくやってきたのが、こちら。おもちゃの卸売店。昨晩、街を歩いていたときに発見した、いぶし銀のオーラを放っているこのお店。その時はすでにシャッターが降りていたので、翌朝に再チャレンジ! 永田さんはじめ、豊橋人に聞いてみても、今やってるかどうかは定かではないとのこと。ただ、みんな「あの店、超いいから絶対行ったほうがいいよ〜」と、オススメ。うわ〜、そう言われるといよいよ行きたくなる! すごい古い店舗だから、場合によってはもう営業していないかもしれないな〜

さあ翌朝。行ってみると、なんと、昨日は完全に閉まっていたシャッターが、下から40センチぐらい開いている! おお、これは人がいる気配! さらに、1時間後ぐらいにもう一度行ってみると、今度は下から1mぐらいシャッターが開いている。おお、さっきより開いた!!!! 動きがある! でも、このままシャッターが全開するのを待ってると、そのまま日が暮れてしまうので、ここは思い切って店内に!!!
「やってますか?」というと、おばあちゃんが奥から一人出てきて、「あ〜あ、やってないけど、入ってきちゃったからしょうがない。見たきゃ見ていきな」という、すごいご挨拶。で、すぐにおじいちゃんも奥から出てきて「おや、お客さんかい?」という。聞けば、二人とも最近は体の調子が悪く、大変だからお店はほとんど開けてないとのこと。この日は天気が良かったから、たまたま戸を開けてたんだという。

玩具といっても、おもちゃ屋さん用ではなく、駄菓子屋さんや縁日の屋台で売ってるような、もうちょっとチープなおもちゃの卸売店。しかもすごいのが、商品は全て、30〜40年前の当時の在庫。確かに自分が子供の頃持ってたものと全く同じものがここにはたくさんあった。記憶の奥底にあったおもちゃのデッドストックがまさかあるなんて!!! 今となっては完全に宝の山だ。すげ〜!! おばあちゃん曰く、「なんだか知らないけど、わざわざ東京の人がやたら連絡してきて売ってくれっていうんだよ」とのこと。東京のバイヤーなんかが必死で仕入れようとしてるらしいけど、このおばあちゃんおじいちゃん、当然インターネットもやらないし、電話に出るのも面倒くさいから、店にコンタクトが取れるバイヤーたちもごく少数の様子。

「これいくらですか?」と聞くと、「それは単価200円のセットで2400円」「それはボタン押すと光るよ」などと、的確!! おお! おばあちゃん、結構いい歳だと思うけど、さすが商売人。全て把握している! おじいちゃんの方も負けじと「それは500円だ」とか口を挟むが、おばあちゃんは、「お父さんは黙って。いいから奥に引っ込んでな!」と、手厳しい。「ごめんね、うちのお父さん最近、痴呆がひどくてね」とのこと。

せっかくなので、お土産がてら少し買って帰ろうかと、面白そうなものを探してみる。買いたいものをいくつか出してまとめて並べておくと、おばあちゃん「アンタ、引っ張り出すのはいいけど、見たらちゃんと元に戻しときなよ」と、厳しい。「もうこの歳になると、片付けるのとか大変だからねえ。奥の方の棚なんか、もう出せないからね」と、動くのも面倒な様子。あ、確かに。急に来てちょっと悪かったかな〜。
「あ、いや、これ全部買ってもいいですか?」というと、おばあちゃん態度が急変。急にご機嫌になって「アンタ、これ見なさい。これはいいよ」などと、別のおもちゃも勧め始める。この客は金出しそうだなと感づいた瞬間に商売人モードに切り替わる感じ、自分も商売人だけに思い当たる節がありすぎる!!! さてはばあちゃん、同族だな! 挙げ句の果てには、「これなんか今はもう手に入らないよ。アンタが生まれた頃のものだろ」などと言いながら、立ち上がってやたら棚の奥の方から古い箱を引っ張り出してくる。あれっ、ばあちゃんさっき、その奥の棚のものは出せないって言ってなかった!?

そうしてる隙に、永田さんとユミちゃんもいろんなものを物色しまくっている。高いところにあるものを取ろうとすると、すぐにじいちゃんが「アンタ、ちょっとあれ取って!」「これはあそこに戻して!」「そこは落ちるからダメ、右、右」と、やたら指図が飛んでくる。やばい、じいちゃんばあちゃんの二人からこき使われて、完全に息子のような扱いになってきた。

と、油断していると、ばあちゃん小声で、「あれー、さっき単価50円って言ったやつ、100円だったかな〜」などと、ブツブツ独り言を言い始める。しまった、あれだ。さっき、小さいコマの形をしたおもちゃが1個50円と言うので、「じゃ、24個入りやつを4箱とも買っちゃっていいですか?」と、唯一まとめ買いしたあれだ! やばい、これが倍の値段になるのは厳しい! すると、じいちゃんが「これは500円だよ」と言い出す。おい、10倍は勘弁してくれ! と、ばあちゃんがすぐに「それはないでしょ、せいぜい200円だよ」。しまった、すでに4倍になってる。じいちゃん、さてはボケてないな!? タイミングが絶妙すぎる!! で、最後にばあちゃんが「よし、じゃあ単価100円でいいよ!」との決断。で、思わず「本当ですか? ありがとうございます!」。…でも、よく考えたら最初と比べて倍になってるじゃねーか〜! してやられた!! こちらは「ま、じゃあやっぱり2箱減らして買うのは2箱にしとこうかな」と、ささやかな抵抗。

さて、正直このお店、宝の山。もし金もうけのことしか考えてない無粋なバイヤーが気づいたら、一瞬で店の在庫全部買っちゃうかもしれない。でも、それはあまりにも面白くない。うまいこと辿り着いた人が、ちょっと買って帰るっていうのがいい。なので、今回、店名や外観はあえて伏せておこうかな。
職人にしても商売人にしても、長く仕事をやってると、引退した瞬間に気が抜けたようになって、ポックリ死んじゃったりすることがある。このじいちゃんばあちゃんにも、長生きしてこのまま末長く過ごしてほしいので、のんびり気が向いた時に店を開けて、気ままに商売を続けていって欲しいね〜
そして、うまくこの店に辿り着けた人は、大量に買い占めるなんていうつまらないことをするんじゃなく、一点一点、真の商売人のじいちゃんばあちゃんとの駆け引きの死闘を経て、面白いグッズをゲットしてもらいたい。

さあ、諸君の健闘を祈る!

50円が100円になって、500円になりかけて200円になって100円に落ち着いた玩具

豊橋作戦② 豊橋市街地へ! 豊橋は名古屋にあらず!!

さあ、引き続き豊橋作戦(豊橋作戦①はコチラ)。久々に訪れた貧乏学生の聖地・愛知大学を後にして、いざ豊橋の街へ。まずは、愛大裏通りにある喫茶店「カチカチ山」へ。カフェじゃなくて喫茶店。20年前の当時も何度かきたことはあるが、いずれも二日酔いで頭が割れそうな状態でモーニングを食べにきた感じ。うーん、何も変わってない。

店内には、紹介された新聞記事が貼ってある。「昔は満席 人気の食堂」という、微妙に失礼な見出しの記事。確かに愛大周辺には激安の渋い食堂が林立してた。

壁にはもちろん東京も大阪も載ってない豊橋中心の中京圏地図。まいりました。

席に着くと、すかさずマスターがやってきて一緖に席に着く。「何年度の卒業生だったら、〇〇さんだ。あの人この間きたよ」とか「〇〇年度の演劇部は〇〇くん知ってる?」とか、過去20〜30年に遡って明確に覚えてる。まさに生きる愛大人名事典! 店内の壁にも、〇〇さんがパフェを4分で食べたとか、謎の情報が大量に貼ってあるので、過去のお客さんの情報は全てお見通しだ。
ただ、コロナでお客さんが激減しているらしく、マスターも「大変だよ。お客さんゼロだよ〜!!」という割には、やたら陽気で楽しそうだ。まあ、確かに今は愛大もリモート授業のようで、確かにそれじゃ商売上がったりだ。正門付近の店と違って、カチカチ山は裏通りにあるので、愛大以外は完全に住宅地のど真ん中だ。これは確かに大変かもな〜
ちなみに、いきなり話で盛り上がりまくり、注文させてくれない。注文できたのは、約30分後。
気になる愛大野宿研究会のこともここで情報ゲット。「あそこは少し前になくなっちゃったな〜。20年前だったら、〇〇部とも兼部してた〇〇くんは知ってるかい?」などと、スーパーコンピューター並みの精度の情報。これはヤバい!!!! 下手したら愛知大学の学生課なんかよりはるかに詳しいはずだ!!!

さすが大学付近の喫茶店。ちょっとした集まりでも使えるように、大きめの部屋も用意されている。で、天井を見ると…。出ました〜、これがカチカチ山スーパーコンピューターの全手動データベースか!!!! というか、卒業生が残していったメッセージやら写真など! う〜ん、これは圧巻。これはお客さんたちから愛されてる証拠。店長がコロコロ変わったり、人間味を出さないことに血道をあげている大手チェーン店などには絶対にできない芸当だ。すごい!

店を後にすると、マスターすかさずInstagramに!!! マスター、仕事早い! ドサクサにまぎれて卒業生ということになってる!

ところで、豊橋の観光地ってなんだっけ。と、聞くと「そんなものはない」と豊橋人の永田さん。
「そういえば海がある」というので、行ってみると、日本のどこにでもありそうな、ただの海が出現! これはすごい! おお、ようやく観光客気分だ! よーし、今日はアメリカまで泳いじゃおうかな〜♪

…と、思ったけど、ダメだ! 台風が接近中らしく海が荒れまくってる。こりゃ、本当にアメリカまで流されかねない。怖すぎる! よ〜し、野郎ども、ずらかるぞ!

「ここが豊橋の最繁華街ですよ」と紹介する永田さん

飲んだくれで有名な永田さんなので、自然な流れで「じゃ、飲みにでも行こう!」ということに。
ひととおり、豊橋の中心地を案内してくれたあと、「とりあえず、豊橋の一番いいところに行きましょう!」という。おお、そんなお金持ってきてないよ。大丈夫かな〜

心配も束の間。安心の立飲み「あさひ」に到着! これか!!!
閉まりかけてたけど、ギリギリ入れてくれた。店の作りは、入り口が二つあり、片方がカウンターの立ち飲みスペース。もう一方は棚が並んでて物置みたいな部屋になってる。この作り、たぶん昔は酒屋さんで、その一角に立ち飲みスペースを作ってたんだろう。典型的な角打ちスタイルの店構え。

立ち飲み屋が異常に馴染んでる貫禄の永田さんと、おばあちゃんの服を着てるのでこれまた馴染んでるユミちゃん

店内は、仕事帰りと思われるオッチャンたちがごった返してて、やたら盛り上がってる。これはいい雰囲気だ。とりあえず、味付けたまごと煮込みとビール。これは最高。
閉店も近かったので、20分ほどでさっと切り上げる。これ、完全に江戸っ子の飲み方だ。立ち飲みなので、店の大将が「そろそろ看板だよ」というと、みんなお勘定してさっと帰っちゃう感じ。変にダラダラしなくて、この辺も立ち飲みの気持ちのいいところ。

「じゃ、次はこっちに」と案内されたのが、偶然同じ名前の「あさひ」。さっきの立ち飲み屋とは、経営も全く別。完全に永田さん行きつけの店のようで、大将も「おう、来たね!」とご機嫌。ここはまた、常連客しかいない、いぶし銀の大衆居酒屋。テレビはもちろん野球中継。

この辺りで、仕事を終えた人々も合流してくる。豊橋市の職員や、楽器屋の店主にして豊橋音楽シーンの重要人物の白井さんなどなど、徐々に謎の顔ぶれに!!
しかしみんな豊橋愛が強くていい。昔からそうだけど、豊橋人たちの「名古屋じゃない」意識が超いい。その昔、それこそ20年ぐらい前、東京で『貧乏人新聞』というのを作っていた時、愛大の仲間が愛大版を作り始めた時も、『貧乏人新聞・東三河版』だった。初めてそれを聞いた時は、東三河って、ずいぶん日本を細かく細分化するな〜、と思ったが、当時の愛大生達もここは「名古屋じゃない論」を熱弁。名古屋は尾張だけど、豊橋は三河。しかも、三河の中でも東側なので愛知県の中でも名古屋とは全く文化の違うところなのだ。食べ物も違えば方言も違う。だから、豊橋人にとっては、名古屋にはなんの親近感もないし、愛知県という謎のくくりの県にもそんなに興味がない。重要なのは豊橋、もしくは東三河だ。
豊橋へ遊びに行く初心者の一番犯しやすいミスは「豊橋ってどこだっけ。ああ、愛知県? 名古屋のあたりか。行ったことあるよ! いや〜、楽しいよね名古屋」って感じ。これは豊橋人のテンションが急落するので要注意だ。なので、豊橋に遊びに行く人は、とりあえず「名古屋」と「愛知」という単語を忘れるべし。

さあ、次は三軒目。店を変えるたびに人数が増えてくるのがまたいいね〜。豊橋人がヤバいのか、永田一味がヤバいのか。でも、当時の愛知大学の奴らも相当ヤバかったから、これは豊橋パワーの可能性も大。
次は水上亭という店。ここは前からある店なんだけど、最近店舗を移転したばかりなので、新しい店構え。どこへ行っても、店主も知り合いだし、偶然入ってきたお客さんも「おお、何やってんの!」みたいな感じで知り合い。いや〜、こういうところ、町は違うけど高円寺と同じだね〜。というか、そこそこの規模になると、どこの街にもこういうコミュニティーってある。よく、地方都市や田舎の人が、「東京はいろんな人が集まってるからいいけど、田舎は何もない」みたいなことを言うけど、そんなことはない。実は日本各地にはいろんな面白い奴らや面白い店が大量に散らばっているのだ。で、そこで面白い情報が伝わったり、困ってる人を助けたりっていうことが起こる、とても重要なもの。退屈してる人は、こういうところにどんどん紛れ込んだり遊びに行ったりしてみるといい。何かが起こる!
あ、ちなみに、そういうコミュニティーを破壊するのが街の再開発。これ、本当にやっちゃいけないことだね〜

さらに、豊橋重要スポットについての密談。「豊橋ならここに行くべきだ!」みたいなのが続々と出てくる。ヤバい、これ豊橋を網羅するのに一週間ぐらいかかりそう! というか、豊橋人のみんなが口を揃えていうのが「何かのついでに豊橋に来る人はいるけど、わざわざ豊橋目当てに来て、しかもしばらくいるなんて、そんな奴はまずいない」とのこと。
ということで、みんなから謎の建築物から謎の食べ物まで、豊橋のいろんなものをレクチャーされる。うーん、だんだん詳しくなってきた!!

豊橋市職員の人からもらった名刺。見よ! この「愛知県」の文字の小ささ。言うまでもなく、東三河の方が重要。これが豊橋の生き様だ!!!!

豊橋作戦① 愛知大学は健在だった!

急遽、豊橋攻略作戦を決行〜〜〜〜!!!!
やってまいりました、東三河・豊橋。ただ、特に理由はなし。高円寺のマヌケゲストハウスによく泊まりに来てくれる豊橋人の永田さんという常連客がいて、高円寺で豊橋BARを開催して大量の豊橋人が高円寺に押し寄せたりと、高円寺と豊橋の友好関係が深まって来たので、ここはひとつ行っておこうと、豊橋に急行!
そして、何を隠そう、自分自身、学生時代は愛知大学に友達がたくさんいたので年に何度も豊橋に遊びに行っていたので、これは行くしかない!!

上の写真は、泣く子も泣き止まない素人の乱5号店の車で、1996年製のスズキの軽自動車。今回なんと、ついに車検が通らなかったので、車検切れまでのギリギリの日程で豊橋行きを強行。高速道路を走るとドアが取れそうになったりサイドミラーが飛んで行きそうになったり、120キロ出したら爆発炎上しそうになる程度なので、ほぼ問題はない。外装も写真の通りまだ新車同様の状態だが、なぜか車検は通らないらしい。世の中に不可解なことが多い。
その辺に停めておいても、みんな自動車爆弾だと思うから誰も近寄ってこないので、とても便利だ。

まず到着したのが、愛知大学前にある学生に人気のコンドーパン。ここで例の永田さんと待ち合わせ。おおー、20年前ぐらい愛大きたときはよく行ってたけど、まだちゃんとあった!!! しかも、看板が新品になっている。まだまだやる気だ!!!

ちなみにこれが20年前のコンドーパン。作り替える前の旧看板も全く同じ。ちなみに、当時、この愛知大学は中京圏の貧乏学生を一手に引き受ける恐るべきアナーキーな大学だったので、付近にもたくさんの食堂や中華料理、居酒屋などがあった。が、さすがに結構なくなってるところも多く、残念だけど、コンドーパンをはじめとしてまだ健在のところも多かった。
中京圏といえば豊橋。豊橋といえば愛知大学なので、豊橋を訪れる人は、まずはパンでも買って見るのがオススメだ。

高円寺での豊橋知名度が飛躍的に上がった元凶の愛大出身の永田さん(左)と、マヌケゲストハウスのスタッフでもある高円寺のユミちゃん(中)、永田さん同様に生粋の豊橋人のジェシカちゃん(右)。豊橋人たちの手引きで豊橋作戦が始まった!

店内。昔ながら店内は何も変化がない。値段も70円とか80円とか驚異的な値段! かつても、よく愛大で飲み過ぎて、翌朝二日酔いで死にそうな時、辛うじてコンドーパンまでたどり着いて、パンを二個ぐらい買い、また愛大に戻って寝る…という典型的な愛大生の生活に陥ったのを覚えている。う〜ん、恐るべし!

最近流行ってる謎の奇病の影響で、さすがの愛知大学も出入りは厳格。よほどの理由がないと立ち入れない様子。あれだけ自由でカオスだった愛大がこんなことになるとは!!! だめか、やはり飲みに来てただけの部外者は入れないか!

と、思ったのも束の間、厳格なのは見かけだけで、すんなり入れたのがさすが愛大。
なんと、サークル棟もまだそのまま。20年前は学生によって自主管理運営されてたけど、今もそんな様子。おー、すごい。
東京は学生による自主管理の場所は2000年代初頭に軒並み潰されてしまったが、やはりこういうところがあると、活気があるし自由な雰囲気が出るからいい。大学経営陣の年寄りたちは、自分たちで学生自治を潰しておいて「最近の学生は元気がない」とか言うタチ悪いのばかり。今の愛大の内情なんて何も知らないが、少なくともこういう建物があるだけでも、こぎれいなだけでモルモットみたいな学生ばかりの大学よりはちょっとはマシに違いない。

永田さんが学生時代に使っていた、当時の演劇の立て看板もまだあったとのこと。物持ちが良すぎる!!

もう滅亡したと思っていた、野宿研究会のマグネットもまだ健在。そうそう、20年前の当時は自分がいた法政大学野宿同会と友好関係があったからよく遊びにきてた。ま、まさか、まだ残っているのか!? と、思ったけど、当時の愛大の人に連絡してみたら、少し前に滅んだとのこと。残念!!

古い校舎とか、まだたくさん残ってて驚いた。今の法政大学なんて、キャンパス内にやたらと新しいビルを建てまくったり、無造作な広場や茂み、池なんかを次々とキレイに整備したりして、完全に急に金持った田舎者が作ったキャンパスみたいになってる。その下品な金の使い方をした、みすぼらしい法政を見るとOBとしては心が痛むばかり。いや〜、この地面が割れてたり、無駄なスペースが余ってる感じの愛大の方がいいな〜
でも、愛大は愛大で、学部の改編などで学生が名古屋キャンパスに移り、少し閑散としてる様子。もったいない〜、豊橋校舎の方が絶対にいいのに。

サークル棟屋上。なんと、柵があって入れないようになってた。さすがの愛大も、こぎれい化の波が!
ちなみに、大学がこぎれい(+不自由)になっていく様子、当時法政では「法政の上智・青学化阻止!」とか言ってたけど、今や気付いたら法政が上智青学を抜いて整備されまくってしまったというマヌケな事態に!! やられた〜、これは一本取られた!

しょうがない。 愛大の法政化阻止!

ちなみにこちらは20年前のサークル棟の屋上。いろんな奴らが、夜中に飲みまくってて、気付いたら全く知らない学生と飲んでたりして、「よく考えたらオマエ誰だっけ」みたいなこともよくあった。大学っていうのは、これが一番大事。
今はここも謎の柵があって入れないけど、大丈夫大丈夫。心配はご無用。ルールは自分たちで作るもの。与えられたルールに疑問を持たずに全部守りたい人は警察にでもなればいい。自由に生きたい人は、自分で考えてやりたいことをやってみたり怒られたりしてみよう。そのうちにルールはどんどんん変わってくる。そうそう、世の中実はとても自由にできている。

馬術部の馬たち。当時も酔っ払ってキャンパスで潰れていると、馬たちの哀れむ視線とよく目が合っていたが、それは今も健在。おまえら、同じじゃねーか!

おまけ。当時の愛大。酒量がやばい!!!!!!

大島事件!

おお、これは重要な企画! 必見〜〜

関東大震災の時に、そのドサクサで社会主義者が殺された亀戸事件というのは結構有名。でも、その亀戸のすぐそばで、大島事件ってのがあったってのはあまり知られてない。小学校だか中学校だかの先生が教えてくれたんだけど、震災ドサクサでの朝鮮人がたくさん殺された虐殺事件のこと。今から思えばいい先生だったなー、誰だか忘れたけど。この映像でも亀戸・大島の地名たくさん出てた。

自分が育ったのは、まさに亀戸駅南側の大島地区。
小学生の頃、いつも友達たちと外で遊んでいたんだけど、たまに、その辺のヒマ人の爺さんにつかまり、昔話を聞かされることもあった。
そんな時、ある爺さんが「関東大震災の時は、この辺は大変だったんだよ! 朝鮮人たちがメチャクチャやり始めたから、みんなでそいつらをぶっ殺したんだ」という話をしてた。強烈な話だから超覚えてる。
その話を聞いた時の自分は小学校低学年で、脳みそが駄菓子でできてるような大バカなクソガキ。当時の朝鮮人の置かれたポジションもよくわかってないし、ただ戦争の話聞いてるみたいで「こえー!!」ってだけだった。っていうか、人殺しの話を堂々としてる爺さんが怖かった。
で、大きくなってから大島事件のことを知ってから、「あれか! あの爺さんの話だ!」気付く。本当にひどい事件が自分の住んでるところで起きたってことに驚いた。

ちなみにこの爺さん、当時まあ70歳とか80歳だっただろう。自分の小学校低学年の頃は80年代前半。ということは、関東大震災の頃、この爺さんは10代か20代ってことになる。ずっと亀戸(大島)に住んでる爺さんだし、全然当事者の年頃だ。
この爺さんが本当に虐殺に参加したのかもしれないし、単に聞きかじったことをイキがって吹いてるだけかもしれないし、今となってはわからない。それに、この爺さんももう生きてないだろう。でも、戦争の話もそうだけど、当時の生々しい話を直接聞けるのは貴重だった。

さて、古今東西、金や権力を得るやつらはすぐ歴史を捏造したがる。なんでかって、自分の都合のいいようにした方が権力も金もたくさん入ってくるからだ。で、さらにマヌケなのが、自分は何にも得しないのにコロッと騙されるアホな奴らもたくさんいる。
しかも、当時を知る人がいなくなった後は、その捏造っぷりが加速するのが世の常。うーん、これからが要注意だね。

ということで! そんなくだらない歴史の捏造とか過去の悪事を隠したりはできないし、しても何の意味もないということを思い知らせるためにも、海外の奴らと仲良くしまくって遊びまくるのが重要。金や権力を持った奴らが、ああだこうだと、あることないこと言い出しても、みんなで「あいつら何言ってんだ、バカじゃねーの?」と言えるようにしておこう〜!!
世界の民衆を仲間割れさせて、ひともうけしようなんてとんでもない。そうは問屋が卸さねえ〜