【香港逃亡犯条例】リーダーなく、誰と交渉したらいいかわからない運動

香港関連のニュースを見ていたら、ふと見たことある名前が…。あっ!! 「區諾軒」!

こいつは高円寺にもちょくちょく遊びにくるやつで、飲みまくると超ご機嫌に呑んだくれる最高にマヌケなやつで、大アホすぎて面白いやつだ。ずいぶん前から飲みには現れていたんだけど、気付いたら区議会議員になり、いまやいつのまにか立法会(日本の国会に相当)の議員に。呑んだくれてるときと政治家の時のギャップが面白すぎるので、マヌケゲストハウスにはいつも彼の選挙ポスターが貼ってある。ちなみに區さん、以前は「左翼21」という身も蓋もない名前の政党だったけど、今は民主党に所属。まさかこんな所でこの名を見るとは! ま、これは余談。

さて、その産経新聞の記事が良かったので少し紹介してみたい(記事は下に貼ってます)。今回のデモはリーダーがいないのが良かったということ。區諾軒先生(笑)が言うには、これまでのデモとの違いはリーダーが存在しないこと、そして、そのため政府も誰と交渉していいのかわからなかったという。そう、これはものすごい重要なことで、無数の民衆の力を政府に感じさせるにはこれしかない。完全に指揮系統が出来てしまったらそれは権力者からしたらそんな楽なことはない。うまいこと懐柔して無力化されてしまったり、大弾圧で指導部を潰されたりする。そしてその過程でも全部の重圧がその中心の人々に押しかかり疲弊する。デモは軍隊ではないので、強力なリーダーや指導部が出来たら、逆にとても弱くなる。

もちろん、完全に中心がないわけではない。呼びかける主催者的なグループはあり、彼らが大まかな方針を立てて呼びかける。しかし、香港現地で動いてるいろんな人からも効いた話だけど、雨傘革命の時の反省として、全体で統一行動をしすぎてうまくいかなかったことが多いという経験を踏まえて、今回は各自の小さいグループが無数にあって、そのグループごとに独自に判断して動いているという。主催者を信用していない。ただ、信用しないと言ってももちろん敵対してたりバカにしてるわけじゃない。ちゃんと主催グループを尊重しつつも「人任せにしていたらダメだ」という意識がだいぶ広がっているという。おおー、これは強そう。この運動が始まる直前、香港に人たちはひたすら会議を重ねて、雨傘運動の失敗をどうやって克服するかをずっと議論していたとのこと。そしてそれが自然と出来てきたのがこの小グループ作戦。これはみんながちゃんと考えないといけないのでかなり高度な作戦なだけに、今回は香港の人たちが本当に真剣に取り組んでるっていう証拠だ。

さて、実際に現場でも機動力がすごい上がっていて、警官隊が鎮圧に攻めてきたら衝突は各所でしつつも、みんなあっという間に退散して、違う場所に登場したり、警察がいなくなったらまた戻ってきたりとゲリラ的に動きまくっているという。こうなったら、特定の人や場所などが中心となってしまって、そこを鎮圧されたら負けみたいなことは起こらない。これ、相当最強。こんなのだったら、政府としてもデモの中心の人を脅したり懐柔したりっていういつもの手が全く使えない。民衆の怒りが解ける手を考えるしか無くなる。

ただ、中心というのは徐々に出来がち。この戦術と状態をどこまで維持しつつ続けられるかっていうのはすごい興味ある!!! こんな作戦で動いてる過去の例なんてすごい稀なので、これは本当に新しい試み。人間、切羽詰まるとすごい知恵を生み出す。この追い詰められた状況の香港社会がいまとんでもないものを生み出しつつあるのかもしれない。

(以下、産経新聞より)

産経新聞は普段はリーダーや権力者に媚びたみっともない点数稼ぎ記事ばかり書いてるくせに、敵が中国となると急に生き生きし始める犬みたいな新聞だな〜、と一瞬思うもののこの視点の記事はとてもいい!(一応褒めてます)

明日、再度大規模デモが発生! 今から香港へ急行〜!

6/13夜、香港の逃亡犯条例に反対するデモに連帯する集会を高円寺駅前広場にて開催〜!!

ここ数年間、高円寺を訪れる香港のミュージシャン、アーティスト、お店をやってる人、社会運動家などは急増し、いまやアジア圏の地下文化やサブカルチャー、社会運動などの交流のメッカと化している高円寺。そんな彼らが香港で激闘している中、応援しないわけにはいかない。当日は、駅前広場に巨大スクリーンを設置して、ネットで香港現地と繋ぎ、現地のデモに参加している友人たちに話を聞いたり、高円寺から現地入りしている特派員の現地レポートなどを行った。さらに、日本にいる香港人もたくさん来てくれたので、いろいろ話を聞いたりとたくさんの情報が知れてためになった。しかもその中には「こんな悪法は絶対に反対です!」というだけではなく、「いや〜、警察嫌いだしとりあえずデモ行った」とか「デモやってもそんなに変わらないかもしれない」「金持ちの老人は家で反対してるけど、貧乏な若者が最前線に行って殴られたりしてて、かわいそうだから助けるために行った」などという、本音や生の声もたくさん聞けたのがすごいリアルでよかった!!!

でも、ある香港人が言っていた「香港ではこれが最後のデモになるかもしれない」という言葉は、本当に今の香港の社会状況の追い詰められてる様子を感じられた。

6/13 高円寺駅北口広場にて

もともと香港人の友達も相当たくさんいるので、このイベントの前後から香港のやつらからの情報はたくさん入ってきていたし、高円寺界隈にいる台湾人や香港人たちからも毎日のように「今こういう状態になった!」「今度はこんな感じらしい!」と、リアルタイムで新情報から裏情報まで飛び込んでくる。こうなってくるともう、テレビで見てるニュースという感じでは全くなく、まさに身の回りで発生している事態のような感じに! いや〜、こりゃ、人ごとじゃない!!!

10年ほど前は度々ヨーロッパを訪れ、その時に目の当たりにしたんだけど、デモやらイベントやらが起こると死ぬほど他国からのやつらが参加してくる。向こうはEUということもあり、国境があってないようなもの。どこかで何かが発生するとヨーロッパ中からいろんな仲間たちが続々と集結してくる。で、終わったら今度は蜘蛛の子を散らすように帰っていく。うーん、国内でその国の民衆とその国の政府とのせめぎ合いじゃない。悪いことをする政府や事件が発生したら近隣の各国から民衆たちが集まってきて、自分たちのこととして文句を言う。いやー、これいいね〜。その点アジア圏は各国の間に海も多いし言語も文字もバラバラ。ビザを取らないとどこの海外にも行けない国の人たちも多い。全然違うな〜、と思ったのが10年前。

そんな経験もあり、6~7年ほど前から国境を越える交流をしまくってきたわけだが、気付いてみたらアジア各国に死ぬほど知り合いがいてそれぞれの文化圏がものすごい行き来して交流をするようになっていた。10年前とは全く違う現象が起きている。3年前の2016年には無限の交流をしまくろうってことで、NO LIMIT 東京自治区というイベントを開催したところ、アジア圏を中心に約200人ものやつらが交通費も自腹で東京にやってきたぐらい。それから3年して、そのアジア交流圏はさらに超拡大し、大変なことになってきている。

よし!!!! 機は熟している!!!!!

いま香港で起きていることは当然香港人だけの問題ではない。これは人々が生活する上での文化の問題だ。この法律によって香港の自由が後退してしまっては、香港の文化の後退にも繋がりかねない。これは、ここ何年にもわたって培われたアジア圏文化交流にとっては一大事だ。香港、日本、台湾、韓国、ほか東南アジア各国、そしてもちろん中国本土も含めて民衆が作ってきている文化の問題。こりゃ、今こそみんなで香港に駆けつける時かもしれない! というタイミングで、香港のやつらからも「来るしかない!」と呼びかけられるし、これまた台湾の大バカな仲間などから「おい、香港行こう!」と声もかかる。ギャー、これはもう行くしかない!!! と、例によって勢いのみで香港行きを決意!

そうなって見渡してみると、周りでも何人も香港に行くというし、台湾とか韓国のいつもの大バカな交流圏のやつらが香港入りするという。みんな自分たちのこととして居ても立っても居られない様子。「デモなんかやっても意味がない」ということを言う人はたまにいるが、それを目の当たりにした人が「じゃ、自分も!」という気にさせるだけでもデモの影響というのは半端じゃない。

そしてもうひとつ。先日の巨大デモによって、香港政府は完全にビビりまくり、その法改正案を当面延期することを発表。これもデモの効果がメチャクチャあったってことだ。しかし、鉄は熱いうちに冷ますのが権力者。熱が冷めたときを見計らって復活する可能性が高い。こちらも「よかったよかった」などと早とちりして一瞬で冷めてしまうと、これまた一瞬で逆襲してくるので、ここはひとつグウの音も出ないぐらいまで畳み掛けて法案の撤回を表明させるのがとても大事。ちなみに香港からの情報によると、毎年7月1日の香港返還記念日に行われる大規模デモまで勢い継続するのがポイントではないかとのこと。なるほど〜、ってことはやはりこれからの1〜2週間が結構大事ってことだね〜

香港人以外もよそ者ではない! みんなで香港に乗り込もう!!

ちなみに現在羽田空港。いまから香港に行ってきまーす。

逃亡犯条例の恐怖! 香港自治を守れ

9日の100万人超参加の超巨大デモに引き続き、今日からは香港中心部の路上占拠が開始された。バリケードで主要道路を封鎖しての占拠。いま日本では失われている民衆の力を香港はまだ持っている。

写真『香港独立媒体網』より

かねてより問題になっている香港の犯罪者引き渡しに関する条例。この法案が成立すると、中国本土で「違法」とされれば「犯罪者」として中国に引き渡される可能性があり、香港の法や自治がより一層無力化すること必至。そうなってくると当然、中国の民主化運動の人たちなどが餌食になる可能性も濃厚。

なんでも短絡的に考えるアホな右翼からしたら「悪の権化中国から香港を守れ〜」とか言い出しそうな話だが、もちろんそう単純な話でもない。世の中見回せば中国政府のみならずアメリカ政府、日本政府はじめロクな政府がない。いま世界各地で大規模再開発やジェントリフィケーション(こぎれい化)が起きているし、日本でも秘密保護法や戦争法、憲法改正計画などなど「民は国の一部分になれ」とばかりに一般の民衆の力は削がれるばかり。この現象はいま世界中で起きていることだ。そんなときに最も大事なことは自治という概念。香港で言えば、香港のことは香港の人たちが決める。あるいは沖縄のことは沖縄の人たちが決める。高円寺のことは高円寺の人たちが決める。これが重要だ。これは国や都市もそうだし、町や家族、グループ、組織など何に関しても同じ。

ということで、いま香港では自分たちの社会と自治を守るためにみんな立ち上がっている。となれば、どの国でもどの地域でも我々民衆からしたら立場は同じ。これはなんとか応援していきたいね〜〜〜

写真『立場新聞』より

ちなみに香港民衆の勢いに押された香港政府は本日強行採決の予定をひとまず断念し議会での審議の延期を決めた模様。おお、すごい、勝った! などと迂闊に思うなかれ。これは権力者の常套手段で、民衆に勢いのあるときは強行突破は避けるもの。しばらく静観して運動内に矛盾や戦術の温度差などが生じてギクシャクしてきた瞬間をねらって反撃してくる。これはどこの国でも同じだ。当然香港の人たちもこのことはわかっているし、数年前の雨傘運動の時に同じことが起きた。ということで、香港のこの運動の人たちも頭のひねりどころだし、ここ数日ずっと作戦の立て方を討論してきたようだ。しかし、立てた戦術が思い通りにならないのも、それはそれで生きた運動の大事なところ。ちなみにすでに警官隊によるデモ隊鎮圧は始まっており、だいぶ混乱が生じてる模様。

ま、ともかくこれは香港の問題ではあるけれど、全世界に連動した重要な課題での運動。こっちも他人事として見てるわけにはいかないので、こりゃあこっちも一肌脱ぐか〜。ここからが勝負なので、可能な人はいろんな手段で香港の自治を応援するしかない!!!! とりあえず何をすればわからない人も、まずは香港メディアやSNSなどで中継を見守りつつ各地でテンション上げていきましょう〜

北中通り商店街に激震! 斉藤会長、ついに引退!

高円寺北中通り商店街の長老の一人、斉藤会長(さいとう電気サービス)が10年間勤めた会長を引退!! 近いところでは、蕎麦屋→米屋→豆腐屋→電気屋ときて、後任は床屋さんの竹中会長〜

総会での正式引退後、ご機嫌に酒を振る舞う斉藤元会長

15年ほど前、完全にシャッター商店街と化していた高円寺北中通り商店街。当時は、戦後に店を始めた人たちが高齢で引退したり病で倒れたりするタイミングで、後継者がいない店の閉店が続いていた。当時は商店会の解散や、隣接商店街に吸収合併してもらうなどの案も出るほどの状態。借り手がいなくて廃屋化した旧店舗を廃墟マニアが写真に来るありさま! 失礼な! 北中通りはまだゴーストタウンじゃない〜!!

そこへ当時の副会長の斉藤さんや元会長の金沢元吉氏(藪蕎麦)らが、これはヤバイと若手をけしかけ始める。当時、若手の店舗は古着屋のモンさん、串焼きDizzさん、ショットバーのバーボンハウスさんの3店舗のみで、彼らがシャッター商店街起死回生の年2回開催のフリーマーケット企画を提案(これが後に北中夜市に形を変える)。残存する店舗の大半が高齢者の店となっていたのだが、突如イベントの日に若者たちを目の当たりにした長老たちがテンション上がりまくり、「よし! じゃあ若い奴らに安くで店を貸して活気付けよう!」ということになり、当時の会長のお米屋さんも完全に江戸っ子気質を全開に出して異常な太っ腹とやせ我慢で、「いくらでも構わねェ、俺は儲けなんざ要らねぇよ!」と、自分の持つ空き店舗を激安で放出(すごい!!)。 そこで古着屋モンさんの活躍でヒカルくんこと山下陽光に話が行き、その勢いでヒカルくんと共に素人の乱1号店として北中通りに出店。この辺りで斉藤さんの活躍も大変なことになっていて、いろんな商店主を説得してくれたり、店の面倒を見てくれたりとだいぶ世話になった。うちら以外にも後に見ず知らずの若い人が店を開きたいと相談に来るたびに藪&斉藤コンビで相談に乗ってあげたりと半端ない尽力。もう自分のことのように他人に頭下げてくれたりして店舗を仲介してくれ、若手の出店が相次いだ。う〜ん、ここまでする人なかなかいないね〜。しかも、ほかの商店主たちもみんなで寄ってたかって若手の店に行って「経営大丈夫か!?」とか、「お客さん紹介してやる」とか手伝ってあげてたりしてた。いや〜、北中通りスゲー!

そして、若手の店舗が増えてくると、若手にどんどん企画案を出させたり、多少無茶な企画でもどんどん若い奴らに任せたりしていた。組織なんかでよくありがちなのは、自分の権力をなかなか手放さずに、若手や新人には好き勝手やらせないとばかりに幅を利かせるジジイなんかだが、そういうのが中枢にいるとコミュニティは成長しない。しかし斉藤さんはじめ当時の商店会の中心の人たちの多くはまさにその真逆。しかも、すぐに酒持って若手の店に押しかけて「最近どうだ!」とか話をしに行ったし、何かイベントごとがあるとすぐに打ち上げと称して酒宴が開かれ、貧乏な若者たちがタダ酒やタダ飯目当てに群がるという光景が度々繰り広げられた。もちろん、団塊世代特有の勢いで若者たちに無理難題をふっかけたり、異常な女好きの藪さんが年甲斐もなく女の子に言い寄ったりしてみんなが逃げ散ったり、面倒なことも多々あるが、それを差し引いたとしてもやはり彼らの功績は大きい。ほかの商店街では、若手は会合などにはあまり参加せず、長老たちの寄り合いになっているような組織が多いが、北中通り商店街は総会などでは参加者の半数以上は若手の店という場合が多く、これが斉藤会長時代の功績のひとつだ。若手の店も斉藤さんに昔世話になって感謝してる人はかなり多い。

そういえば、随分前、京都の帆布の会社で社長が亡くなってお家騒動化したとき、ずっとサラリーマンやってた長男が突如現れて社長に就任し、長く職人としてやって人望も厚い弟を追い出したことがあった。どちらが正しいかとかは置いといたとして、結局は従業員や職人たちの大半は面倒を見てくれて行動を共にしてきた弟の方に流れていった。行動を共にしてきたり、親身になって動いてくれたりしてくれる人への信頼だろう。商店街も同じで、各店主は全員が一国一城の主で、ある種の職人でもある。そんな奴らの集まりだから、これは一筋縄ではいかない。会社組織的な年功序列やら実力主義、トップダウンのようなサラリーマン的なものは商店街では通用しない。どれだけ対等に接していけるか、深入りしすぎずに親身に接していけるか重要だろう。うわー、これは至難の技だ〜

ちなみに、次期会長の床屋さんは完全に職人タイプ。別に偉そうに物をいう人でもなく、距離感はかなり近い。おお、これは斉藤さんの後任としては完璧! これは将来の北中通りも安泰に違いない!!!!!!