さて、中国人民の圧力に屈してまんまとチケットをキャンセルして北京残留。「帰るのやめた」とみんなに連絡したら「よっしゃー、じゃあ今夜も飲みますかー」という返事が続々とくる。あぶねー、昼は寝といて百草丸飲んでから出かけよ。

というわけで夜。さっそく、いよいよオープンする待望の新スペース甭管LIVE(2号店)へ。立地は五道営というエリアで、地下鉄「安定門」駅の近く。連日ウロついてる鼓樓東大街あたりからも歩いて15分ぐらいなので一応徒歩圏内のあたり。JR高円寺と地下鉄の新高円寺ぐらいな距離感。この辺も昔から個人店の変わったバーとか若い人が始めた雑貨屋さんとか並んでて、お茶の水や水道橋的な感じで面白いところだったけど、最近やたらオシャレな店が増え始めて、表参道化が進んでる。いや〜、家賃高騰してんじゃないかな〜

入口はこんな感じ。
開店祝いの花はやはり赤。日本では白い胡蝶蘭を贈ったりするけど、そんなことしたら「縁起でもねえ!」と怒られるので注意。白いものは、こっちでは誰かが死んだみたいに思われるので厳禁だ。正月に白いお年玉袋でガキに渡そうもんなら泣き出氏たりして、オヤジが出てきて「なんのつもりだ!」と殴られるのでこれも注意。

店内。入ってすぐのところはバーカウンターになってるので、飲みに行くだけでもOK。

奥の方に行くとライブできるホールがある。意外と広い!

さっそくライブ始まる。今日はみんな北京のバンドで、パンクとハードコア。特に最初のバンド、すごい爆音だった。
そういえば、中国ってライブ始まるの普通に22:00スタートとか、早くても21時スタート。昔、なんでそんな遅くに始まるかって聞いてみたところ、「だって仕事終わってすぐイベント始まったらメシいつ食うんだよ。仕事終わってみんなで集まってゆっくりご飯食べて、それが終わったタイミングにしないと誰も来ないよ。どんなにいいライブやってもみんなメシ食いに行っちゃうからね」だって。なるほど〜、それは理にかなってる! 日本だったら仕事終わって大急ぎで牛丼とか食べてライブ会場に向かうなんてことも多々ある。いや〜、やっぱ食の中国、メシの時間は何より大事なんだね〜

余談だけど、上の写真のように爆音で絶好調にライブやってるそのステージ右奥の方に見える扉、何気によく見たらガラス一枚。あれ、と思ってコッソリ開けてみたら普通に外だった。うおー、防音しなくていいのか!

ちなみに、この甭管から50mぐらいの至近距離でにあるのが上の写真のSchoolという老舗ライブハウスで、北京ロックシーンでは最重要スポット。漢字表記では「学校」なので、出来損ないの中高生なんかが学校サボって遊びに行くときも、父ちゃんや母ちゃんに「学校行ってくる!」って家を出て行けば嘘ついたことにならないという、とてもいい名前! そのうち「銀行」とか「会社」とか「ホームセンター」なんて名前の不良の溜まり場できたら面白いな〜

こちらが学校内部。うわ〜、ここも6年ぶりにきたけど変わってなくて安心。

Schoolボスの劉非。彼は北京のベテランバンドのJOYSIDEのマネージャーもやってて、「来週東京行くよ! 下北沢のshelterでライブやるから遊びに来てよ!」だって。なんか世界狭い! そう、日中の地下文化の間では国境の溝ってそんなに深くないし、もうすでに取り返しがつかないぐらい(笑)いろんなところで繋がってる。国ごとに物事を考えようなんていう発想自体がすでにどうかしてるのだ。そういうよからぬ魂胆は早く諦めてもらいたいものだ。

さて、ライブも終わり、北京のやつらが「お前北京久しぶりだろ? せっかくだし、ちょっと近くの店も見ていくか?」と、案内してくれる。北京は胡同と呼ばれる、こんな感じの路地がたくさん残ってる。路地裏文化みたいなもので、ちょっとした北京名物になってる。これが迷路みたいになってるけど、北京の奴らはこの迷路を巧みに近道として使ってて案内してくれるからすごい。一人だったら絶対無理。迷う。

まず寄ったのが「原料空間」という飲み屋。
かつて北京には、飲んだくれたちが集うヤバすぎる伝説のBAR「SOSクラブ」という店があった。毎日大盛況で死ぬほど飲みまくってて、自分も飲みすぎてだいぶ酷い目にあった最高の店だったんだけど、残念ながらのちに閉店。この「原料」はその流れを汲む重要な残党たちのBAR。くわばらくわばら。

この日はもう営業終わってて、残念なようなホッとしたような気分。いや〜、やはり北京は緊張感が漂うスリル満点シティだ!

ここもステージ部分があって、イベントもできるところ。
あっ、あのでかい天狗の面、昔のSOSクラブの天井にかかってたやつだ! まだあったのか〜。っていうか、鼻がもげてる。コラー、お前らいったいどんな飲み方したんだ!! くわばらくわばら

こちらは「五金」というスペースで、先ほどの「原料」の隣にある。6年前はすぐ近くの別の場所にあったんだけど、こっちに引っ越してきたらしい。写真の右の人が、最近ここを切り盛りしてる阿科。何事にもノリが良くてやたら面白いやつで、実は去年には高円寺に遊びにきていたフットワークの軽いとんでもない姉御!
ちなみに「五金」っていうのは金物屋のこと。前の場所が金物屋跡地で始めたのでそんな名前になったみたい。新宿のクリーニング屋跡地で始めたCafe Lavanderiaみたいなもんか〜。
ここはみんなで料理するイベントだったりトーク系のイベントだったりをやところで飲食店でもあるスペース。前の場所も同じだったけど、厨房とでかいテーブルが店のメインにあるのがここの特徴で、このレイアウトなんかいいね〜
そして、この五金や原料があるエリアは、甭管やSchoolエリアと盲区があるエリアの中間点ぐらいにあるので、どこも歩いて行けて便利な場所にある。やっぱこの歩けるってのがすごくいいんだよね。お客さんも行ったり来たりするし、イベントのハシゴもできる。あっちで誰々が飲んでるっぽいからちょっと顔出して来る、なんてこともできる。歩けるのってコミュニティが広がる最大要因。これは重要だね〜

ってわけで、「じゃ、また飲み直すか〜」言い出した北京人たちに連れられてきたのが、魔窟「盲区」。近い!! 帰れねえ! 全部歩いてすぐなの危ねえ!!
どうやら甭管LIVEでのライブが終わった流れがこのエリアに来て、向かいの甭管BARと盲区で打ち上げが続いてる模様。う〜ん、この行ったり来たりする感じ、いよいよ高円寺にそっくりだ。

盲区Tシャツを手に入れた!

みんなカジュアルに飲んでるけど、これ深夜3時半。寝る気配ゼロ。

やはり日本に帰れる気がしない。

4時半ぐらいになってくると、こんな感じに死人が続出してくる。ただ、奥のステージではドラムを叩き出したりギターを弾き出したりするやつが出てきて、とにかくうるさくていい。
この後は前出の阿科の姉御が「よーし、肉まん食べにいくぞ〜」と騒ぎ始め、朝ごはん屋で肉まんとお茶で締め。台湾とかもそうだけど、朝まで飲んだ後に朝ごはん屋があるのがいいね。ま、松屋とか吉野家の朝の納豆定食とかも最高だけどね。
いや〜、北京あぶねえ〜。ということで、その後、青島に戻ることは断念して、慌てて北京発東京行きの飛行機を取り直して(日中間のイザコザのおかげで片道1万円ちょっとだった。最高すぎる)、命からがら日本へ戻ったのであった。
約1週間の中国。いや〜、有意義だった。また行かないとな〜。みなさん、今チャンスなのでどんどん中国に飲みに行ってしまおう〜
(北京作戦 終)





































