香港の李俊峰(実はマヌケ)と法政大学と高円寺と愛のあるローカル主義

香港の芸術家にして活動家の李俊峰。彼はなんだかんだと十年来の友人で、しょっちゅう一緒に活動したり、飲んだり遊んだりもしてきた。その李俊峰が韓国のメディアに寄稿した文章がこちら。
まずはこちらのリンクを見てもらいたい。
(なんと、ありがたい事に日中英韓の4言語! 親切すぎる!)

http://www.jejusori.net/news/articleView.html?idxno=328258

ややこしく書かれてるけど、要は権力者や金持ち連中との戦いにおいて、ローカル主義は時には危ない事になるってこと。
そうそう、これ結構重要な指摘。「自分たちの文化や生活を守りたい」っていうところから始まるローカル主義だけど、確かにたまにおかしくなる。

自分も昔、学生時代には、母校法政大学がどんどんこじゃれて自由がなくなっていく事に対抗して「法政の上智青学化阻止!」というスローガンを掲げてふざけた活動をたくさんやってた(ま、もちろんこれはネタみたいなもんで、基本いいかげんな活動しかしてなかったんだけどね)。で、この法政の上智青学化阻止、もちろん上智大学や青学を敵視したものではない。「薄汚いけどやたら自由で活気のある法政大学(当時)がこぎれいになってオシャレになったら何も残らねーじゃねえか!」っていう意味。ところが、これに謎の愛校心が加わって、「法政は最高で、他の大学はダメだ」みたいになって来ると、これちょっと微妙になってくる。当時の法政大学の経営陣なんてクソみたいな奴らが牛耳っており、ロクなもんじゃなかったから、法政全肯定なんてとてもじゃないけどできないし、逆に上智や青学含め他大学にも面白い大バカな学生がたくさんいた。だから、例えば当時、上智の学生が「うちの上智なんて面白くもなんともない、最悪だよ」とか言ってても、「大丈夫、大丈夫、一発逆転で上智をとんでもない事にしよう!」と、いろいろけしかけてた。これをもし「そうそう、上智なんてつまらないから潰れたほうがいいよ。法政に来なよ」なんて言ってたら、何も面白い事にはならない。
そう、大学経営陣や大学っていう機構と、そこにいる学生はまた別の問題だ。現に学生はいろんな大学を行ったり来たりして遊んでたし、インカレサークルもたくさんあった。大学経営陣がクソでも、面白いことを勝手にやってしまえばいい。
重要なのは、自由で面白い学生がたくさんいたから結果的に法政は面白かっただけであって、法政が元々面白い大学だから面白い学生が多かったわけじゃない。で、もちろん、好き勝手にやる自由で面白い学生たちは数の差はあれどこの大学にもいた。

もうひとつ例を。いま自分は高円寺を拠点にしてるけど、高円寺も確かに面白い。変な奴らがたくさんウロウロしてるし、変わった店も多いし、いまだに街中全部が商店街で構成されてる。おそらく、日本でもトップクラスに頭のおかしいとんでもない街だ(←一応褒めてる)。ただ、これが排他的になって謎の高円寺主義みたいになったら何も面白くない。「表参道的な店とかがあまり進出してきてほしくない」ぐらいはまだわかる。でも、それがさらに進んで「渋谷人は渋谷に帰れ」とか「世田谷区民の入店お断り」とか「吉祥寺と高円寺の間に壁を作って奴らが来れないようにしよう」とか言い出したらどうか。面白がってネタで言うならまだしも、本気の高円寺主義者みたいなのが台頭してきたらかなり怖いし、逆にそのおかげで高円寺の面白さなんて全くなくなっちゃう。
それに、こういうのって、劣勢になればなるほどこの傾向が出てくる。東京で言うと高円寺以外にも吉祥寺や下北沢、江古田、新宿、三軒茶屋などなど、昔から地下文化の発達した面白い街がたくさんあったけど、やはりどこの街も徐々に開発が進み、面白い店が潰れて行ったりしている。そんな劣勢感があると、どうしても守りに入ってきて排他的になりがちだ。例えば高円寺にできた表参道的な店をやたら嫌悪したりしてもなんの意味もない。それよりは、その迂闊に高円寺に表参道的な店を開いてしまったマヌケな人と仲良くしまくって、「高円寺やべえ!」と気付かせる方が面白い。そうしたら、その人が逆に表参道に高円寺的な店を開いちゃうかもしれない。排除したり攻撃したりして自分たちのローカルを守ることは、補給のない籠城戦と同じで、勝ちでもなんでもない。むしろ負けだ。

もちろん、大学の話も街の話もそうだけど、ローカル主義を全部なくして「全員みんな同じだ!」みたいにしちゃうのはあまりにつまらない。やっぱりここは、余裕を持って優しさのあるローカル主義が一番いいね。そう、愛のあるローカル主義、やさしいローカル主義、そんな感じ。極端になりすぎないぐらいの感じが一番いい。過激化すると無用なケンカが始まって、そこへ金もうけの奴らや権力者やらがそれを利用しようとウロチョロし始めるので、もう奴らの思う壺。これ加減が偏らないようにしないといけないから、ちょっと難しいんだけど、でもこれが一番大事なこと。
高円寺の例で言うと、やはりここは排他や攻撃ではなく、「この店は表参道みたいでいいな〜」と、猫を抱いたおばあちゃんとか、洗面器を小脇に抱えた銭湯帰りの貧乏学生、全身刺青でギターを持った謎の中年、見るからにバカそうな鼻垂れ小僧、呪いをかけられたような顔をして徘徊してる人、とんでもない服を着てる若者などが続々と現れて、謎の文化融合現象が発生したりしつつ謎の高円寺文化が続いていく方が楽しくていいな〜

この話、日本の愛国主義や香港の運動にも通ずる話。
と言うことで、李俊峰の上記の寄稿、結構重要な指摘だね〜