さて、愛媛シリーズが終わり、次は高松行きなんだけど、ちょっと一日空いてたので、急遽瀬戸内海の島・中島へ。
自分自身は東京生まれなんだけど、うちの松本家は実はこの島の出で、家の墓もここにある。あんまり荒れ放題にしておくと、自分の死後、先に墓に入ってる父親やジイサン、バアサンなどにあの世で死ぬほどぶん殴られるに違いないので、たまには墓の手入れを。
これがまた、船でしか行けないとんでもない島なので、行くのもひと苦労だ。
親戚の家に電話しても一向に出ないので、若干心配だったが、アポなしで行ってみると、みんな呑気に庭でお茶飲んでた。確かに、こんな全員知り合いみたいな島でいちいち携帯電話なんか持つ必要なかった。
突然行くと、「ウワー、帰ってきた!」と大騒ぎに。行く度にそうなんだけど、いつも「帰ってきた」と言われる。自分は東京で生まれ育ってるから東京の人間のつもりなんだけど、先祖代々の長期間のスパンで考えたら、つい数十年前からちょっと東京に出てるだけの話らしい。うーん、スケールが違う!!
ちなみにこの島、昔はずっと海賊の島だったんだけど、海賊業は流石に今はできないので一面みかん農家で、かつてとはうって変わって平和な世界。田舎にありがちだけど、「みかん持って行きなさい」と言われ、適当に20個ぐらい取ると、そんなんじゃ足りないだとと、勝手に段ボールに山盛りにして強引に持たされる。
ちなみに昔の話をするとき、島の人に「海賊」というと決まっていい顔しないので、それはやめた方がいい。みんな「水軍」とか「船乗り」みたいな言い方をする。で、90代の人なんかが昔の話とか教えてくれるんだけど、そんな話の隙に誰かが「ま、倭寇もやってたしねえ」と、ポロっと言う。やっぱりそうか〜! 瀬戸内海で海賊(水軍)やってるってことで、薄々はそう思ってたけど、そりゃやってるよなー。そう、言わずと知れた、外洋に出て東アジア圏の大陸沿岸部を襲って略奪とかする、あれね。
倭寇の子孫となったら、こりゃいよいよ罪滅ぼしがてら東アジアの連中には優しくして仲良くしとかないとな〜
さて、「またちょくちょく帰って来いよ」と何度も念を押され、墓に向かい、とりあえずの手入れ。
その後、このまま帰るのもなんなので夜飲むところとかないかと探してみると、唯一、集落のはずれに「ナイトカラオケヒットスタジオ」という、寂れた島の中で燦然と輝くネーミングの飲み屋を発見。これは行かざるを得ない。
よくよく考えたら、いつもは親戚の家に行って墓参りして終わりなので、島で遊ぼうなど夢にも思ったことはなかった。これは楽しみだ! さっそく行くしかない!
着いてみると、どう考えても人の家。居酒屋という看板はかかっているが、たまたまなのか中から人の気配は全くない。ヒットスタジオというより、どちらかというと注文の多い料理店。入るか? 帰るか!?
勇気を出して中に入ると、まさかの居酒屋。ただ、誰もいない。「すいませ〜ん!」と、声を張り上げること5回。やはり注文の多い料理店じゃないかと不安になってきた頃、店主と思われるじいちゃんが出てきて「なに?」という。「飲んで行ってもいいですか?」というと、えっ、と驚いたような顔をして「いいよ」という。その後、ばあちゃんも出てきて、夫婦でやってるらしい。いや〜、まさか中島で飲めるとは!
「観光かい? 島は初めて?」というので、「いや、実は親類やうちの墓があって、子供の頃からたまに来てるんですよ」というと「ああ、そうかい。親類って誰?」という。さすが島。絶対知り合いの知り合いとかそんな感じで繋がるんだろうな〜。で、親戚の名前を出すと、案の定、あ〜、その長男のところに嫁いだ誰々の家の従兄弟の誰々が私だよ、だって。…って、遠い親戚じゃねーか、島恐るべし!! で、その後来ていたお客さんを指して、あの人はほら、おたくの誰々と縁組した誰々のあれだよ、みたいな感じで教えてくれて、そっちも遠い親戚。島やばい! 全員が遠い親戚! う〜ん、この島ではなにも悪いことできない!!笑
しばらく飲んでると、おばちゃんが「裏も見て行きなさい」という。すると、裏には島最大規模のステージが! おおー、これか〜、これは確かにヒットスタジオだ!! やられた! おまけに小道具やら貸衣装なんかも置いてあって、これは島の人たちが集まってとんでもない大宴会が繰り広げているに違いない。すごい!!
ちなみに、島から松山に戻る終電ならぬ終船は夕方5時半なので、そのまま車で車中泊して、翌朝松山へ。