NO LIMIT JAKARTA = WHY

NO LIMIT JAKARTA 第二日目。この日はまずインドネシアの女性パンクシーンに関するドキュメンタリー『INI SCENE KAMI JUGA』の上映会で幕開け。上映後のトークショーでは「パンクシーンの中にもいろんなジェンダー問題がある。でも、何かしらの問題が発生した時にそれをみんなに訴えて支持してもらったり助けてもらったりするのでは根本的な解決にならない。こういうイベントや映画の上映などを通して、みんなが問題を理解するようになることが一番大事なことだ」という。素晴らしい。

最初の上映後のトークショー。うーん、内容聞きたい!

ただ、本人達がインドネシア語でトークした内容を、登壇者の1人が要所要所英語で要約し、それを隣で聞いていた台湾人の阿翔が中国語でさらに要約てくれ、それをなんとか聞いて日本語で要約すると、長いトークショーの内容が上のような内容になった。こりゃいかん、やはりインドネシア語理解しないともったいない!

前半の上映会はビル一階の駐車場スペースにて

先ほどの上映会+トークショーが拍手喝采で終わると、そこですかさずジェロニモレーベルの上杉氏が突如勝手に登場していきなりライブを開始! さすが上杉氏。常に虎視眈々と隙を伺いタイミングを読んでいる。うまい! そう、寄席の休憩でトイレに出た瞬間に弁当売ってる売店に出くわしたり、野球場で回が変わる時にビールの売り子が来たりするあのタイミングだ! そして一方のインドネシア人たちも、車の渋滞が始まった瞬間に車道に入ってきてバナナとかタバコとか売りに来る売り子たちに慣れてるから、とごく自然に拍手と歓声で受け入れられてる。これはいいね!

「いえ〜〜〜〜い!!!」と、すごいテンションで颯爽と登場したものの、演奏開始とともにアンプ内蔵ギターのバッテリーが切れるという、ちゃんとオチを外さない上杉氏。ジャカルタでも関西の芸風を知らしめた瞬間

そして、上杉ショーの次は中国の人たちのドキュメンタリー映画。こちらも中国での女性問題に関する映画の上映。ちなみに中国語って全て漢字で構成されてる言語なので、英語や日本語に比べて短時間ですごいたくさんの内容のことを伝えることができる。なので字幕のスピードがものすごい早い。インドネシアの人たち内容わかっただろうか…

2008年の中村友紀監督の作品『素人の乱』。実はYouTubeでも観られる

そして、その後は映画『素人の乱』の上映。この日は前半に映画とかトークショーが集中してたので、飲みながら観ていたので迂闊にも夕方の時点で既に酔っ払ってくる。ちなみに、この映画すでに100回ぐらい観てる。

そして終わったら次は『NO LIMIT 東京自治区』の映画と、監督の児玉さんの挨拶。続けてみるとなんとなく変遷がわかって面白い。

ナントカ氏と

上映会直後、「おい! お前ら面白いことやってるじゃねーか!」と、感激して話しかけてきたナントカくん(すまん、インドネシアの名前ってなかなか覚えにくい)。ナントカくんいわく、「いやー、国境クソ食らえだから、うちらも今ちょうど東南アジアのネットワーク作りまくって結託してるんだよ!!! お前らの東アジアネットワークと繋げたらヤバいことになるよ!」と、テンション上がってた。おお、こんなところに思わぬ同志が!! いっちょ結託しますか〜!! 世界の大バカたちがどんどん繋がっていけばものすごいことになることを知らしめてやる!!!! よし、まずは名前を思い出すところから開始だ!!

ナントカ氏2と

ナントカくん2と。彼は地元で開発に反対する運動やイベントもやっている。彼は日本の状況や高円寺の再開発反対のことなどにすごい共感してくれていて、そのZINEとTシャツをプレゼントしてくれた! ちなみに彼は東京にも遊びに来てくれて何度も飲んだりしたし、高円寺マヌケゲストハウスにも泊まってくれたり、インドネシアに来てからも何度も一緒に遊んだりしているので、いまさら名前を聞きにくくなってきたいつものあれだ。しまった! このブログを読んだみなさん、くれぐれも彼には名前を思い出せないことは極秘でお願いします!

こちらは中国チーム。中国の各地から来ている
ジャカルタ2日目の打ち上げ後。この直後に寝てしまい、起きたらパスポート入りのカバンが消えていた!

さて、NO LIMIT JAKARTAのイベント名にWHY FESTIVALという名称が付けられており、この経緯が面白い。まずNO LIMIT JAKARTAの発端は、最近知り合ってきたインドネシアの人たちと話しているうちに「じゃ、インドネシアでなんかやりますか〜」っていうノリになったこと。そして、実際に具体的に話を進める段階になると、実は日本人は大して役に立たない。自分自身、実際に行ったこともなかったし、どこまでのことがどんな条件でできるのかなど、なかなか計り知れないところも多い。ということで、こちらからは他の国から参加するミュージシャンや企画、遊びに行く人の手配などに追われることになり、実際の現地での会場や宣伝などの実務はジャカルタサイドにかなり依存することに。

そして、ジャカルタサイドの頑張りが半端なくて、かなり大掛かりなイベントになってきたんだけど、日本を中心とした海外サイドは思ったほど役に立たない! で、ある時ジャカルタサイドでの会議の時に「あれっ! ところでうちら何でこんな大変な企画やってるんだっけ!」となって「WHYにしよう」となったとのこと。

最初はあまりネーミングは気にしてなかったけど、その経緯を聞いてから会場や装飾を見てみるとマヌケ感が半端ないことに気付く。

巨大なWHYの前でパンクバンドが演奏している姿はとても感慨深い